本科、それは壁であり傘

 久しぶりにブログにやってきました。
 弊本丸の山姥切国広が無事に旅立ち、ひたすら気を揉みながら待つ96時間が再び始まります……

 まんばの修行については、以前にこんなことを呟いていたことがありました

 ひとまずこちら(とそのリプ群)を参照していただいて、あとはちょっと伏せますね……

 山姥切国広の手紙、一通目。前段はともかくとして、最後にとてつもなく思わせぶりな一文がついています。(以下、山姥切国広極に関する盛大なネタバレがあります)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『人々が話す内容が、俺の記憶と違うのは、どういうことだ?』
 
 
 修行先で自身の記憶と違う〝史実〟を目の当たりにするパターンとしては、例えば自身の非実在という現実を突きつけられた今剣などがありますけど、では山姥切国広は、一体どんな話を聞いたのだろう?
 彼が思っていた自分自身に関する逸話と、史実との間に齟齬があるとしたら、もしかしたら「山姥切という号は、本科のものか写しのものか」問題でしょうかね……
 この辺りについては、上に貼りつけたツイッターのスレッドからリンク先に繋がっているので、詳しくはそちらを見てもらいたいんですが、それを踏まえると、こういうことなのかもしれない。
 「こちらが山姥を切った国広の刀であり、そこにある長義の刀の写しでもある」というのが正しい因果関係なのだが、それが「この国広は山姥を切った長義の写しだ」と伝わり続ける中で、因果関係が逆転してしまった……ということが、あり得たかもしれないわけです。
 
 
 このことは、彼の心に一体どんな波紋を投げかけるだろう?
 今まで散々、写しとして、自身はやってもいない、本科の手柄であるところの「山姥切りの逸話」に振り回されてきた山姥切国広にとって、「実は(小諸山中の)山姥を切ったのは自分・山姥切国広である」という史実?が判明してしまうという事態は、果たしてストレートに〝救い〟になりうるのだろうか‬……? 
 最低でも、振り上げた拳の下ろしどころがわからなくなる、くらいの戸惑いは感じるのでは……? 

 まず、ゲーム中で山姥切の本科とされている刀がすなわち、現在徳川美術館所蔵の「本作長義(以下58字)」であると考えていいのか、そこからなんですけど…… 
 そうであるとしたら、少なくとも、本作長義が戸隠の山姥(=鬼女紅葉)を切ったという可能性はゼロに等しいんですよね、時代があまりにも違うので。 
 そうすると、本科が切ったという「山姥」とは、どの山姥だろう? 
 一方、山姥切国広が切ったとされている「小諸山中の山姥」は、果たして化け物だったのだろうか? あるいは、例えば、旅人を襲って身ぐるみを剥ぐ山賊が、人々から恐れられる中で「山に棲む化け物」として語り伝えられた、などという類いのタネ明かしがある話なのだろうか? 
 この辺の話、取りようによっては、「本科は山姥を切っておらず、写しは山賊を切った。山姥切国広にも本作長義にも、もとより霊力はない」という話にもなり得ますよね…… ?

 
 山姥切国広は、本丸ボイスで「化け物切りの刀そのものならともかく、写しに霊力を期待してどうするんだ?」と言っているが、彼の中では、本科には霊力があることになっており、それに対して自身には霊力がない。それもそのはずだ、俺は所詮写しなのだから、という言い分なのだと思います。
 連結時にも、「霊力、か……」と何やら感慨深げに呟いている。
 彼にとって、「写しである」ということは、ただ「オリジナルでない」ということのみではなく、「霊力がない」ということも含んだ話なのかもしれません。

 今までずっと、(俺なんかと違って)あいつはすごい奴だから、と彼が思い続けてきた本科山姥切(=本作長義?)は、実は化け物退治などしておらず、特別霊力があるわけでもない、言ってしまえば〝普通の〟名工が打った刀でしかないということを知ってしまったとしたら。
 本作長義は、長義という匠が打った名刀であるが、決して霊剣ではない。
 また、自身・山姥切国広も、国広という匠が打った、最高の出来栄えの写し刀。もちろん、霊力などはない。
 相手が霊剣であろうが、そうでなかろうが、どのみち彼が〝写し〟であるという事実は消えないのだけれど、それでも、今まで山姥切国広が抱いてきたコンプレックスの、おそらく半分ほどは無効になるんですよね。 

 あいつはすごい刀だが、俺はその写しに過ぎない。 
 あいつが成し遂げた華々しい化け物退治の伝説が、写しだからというだけで俺にまでのし掛かってくるのも、それと同等の霊力を期待されるのも迷惑だ。 
 俺があいつのような働きができないとしても、それは当たり前のことだ。 
 ……そういうコンプレックスが、この修行の中で一旦全て無効になるのだろうか。 

 決して能天気に、「な〜〜んだ、俺は〝山姥を切って〟いたんだ! そしてあいつは単に俺の本科というだけの、普通の刀だったんだ!」と片付けて済む話ではないのだろう。 
 彼に降りかかる全ての毀誉褒貶は、彼・山姥切国広自身のものであり、もう決して、山姥切本科は傘になってくれない。彼は自分の名前も物語も働きも、すべてひとりで背負わなければならない。 
 その状態は、彼が今まで苦しいほどに望んできたものであるはずだけれど、いざ山姥切本科という傘が無くなってしまうと、今までどれだけその傘で自分を守ってきたかということを痛切に突きつけられてしまう…… 
 そういう、少年漫画みたいな、自身との熱い闘いが、山姥切国広という青年にはとても似合う気がします。 
 

 
 頑張ってほしい!!!!! 
 まだ1通しか来てないんですけど!!!!!