君は悪くないよ
できることをただしただけだよね
だから泣かないでよ
君が降らす雨に今 打たれている
心の裡で匿って 飼い馴らして 飼い殺しているうちに
頭上を埋め尽くしていた翼ある獣が
僕を庇って 傘になって 絡みついてしまうんだ
耳と目を塞いだついでに口も覆って
それでもいいかって濡れ鼠で
湿度100%超えの傘の下
生理食塩水で咲く花はなくて
だから不毛の地だけどなぜかほっとして
ここには何もなくてなんて穏やか
閉じた瞼の裏ぐらいの薄闇だ
ここを出ればカラッとした風が吹いて喝采の声が響く
あの場所にいらないものは山ほどあるから
ふさわしい仮面で肩並べて会心の歌を歌えよ
分かってたはずだろ 最初からそんなこと
ここにいれば乾いた僕の目に君からの雨が降る
それでいいんだよって耳元で囁く獣の翼を
掻き分けて 引きちぎって 風穴をこじ開けて
つむじ風の中へ
君は悪くないよ
できることをただしただけだよね
でももう泣かないでよ
その雨の檻に今 幕を降ろす
君が消えながら引き留める声は
ただ空高く巻き上がり
すべては風の中
いらないものは全部置いて行こう
君の羽根ひとひら
ポケットに捩じ込んで
※自作バンド小説「Noisy Life」シリーズの劇中歌として制作中のものです。
作詞作曲:久住映光
翼ある獣とは、映光の中のいわばハイヤーセルフにあたるものか? 巨大な翼を広げて自分に振りかかるいろいろなものから自分を守って匿ってくれようとする一方、自分を閉じ込めようともする存在。……と、これはこれを書いている時の映光の言い分であり、彼のハイヤーセルフおよび彼を取り巻く人間たちからすればシンプルに「とにかくなんか温かいもん食って飲んで布団入って寝ろ、歌から一旦離れろ」となって当然な状態ではある。
いつの間にか泣けなく(=弱音を吐けなく)なった自分の代わりに泣いてくれるからその獣が降らす雨でようやく自分の頬も濡れる、そんな傘の下にただうずくまっているだけの夜があってもいいよね、と歌うのが1コーラス目となる。
これが映光がとても追い詰められている最中に作ったものだとすれば、最終的にこの湿度100パーの傘の下から出ていき、この獣を殺すことになるわけである。それが2コーラス以降。
ざっくりと斜め読みをすれば、生温かい雨の檻の中でほんのひととき休んだらまたあのステージの上に出て行くよ、僕の中の獣ありがとうさよなら、という決意表明の歌のようである(し、実際映光自身そのつもりで作っている)。
しかし作中で彼らバンドが置かれた状況とそれを受けた映光の心理描写を踏まえつつよくよく読むと、どう考えてもこれは強迫観念だよね……?という匙加減を目指す。
篠原美也子の「ここはなんてあたたかくて」のオルタという趣。
あるいは「Place」の逆視点。「もういいよと引き留めてもきっとドアを出て行く〝あなた〟」側の曲。