何もかも見せないで
もういちど夢が見たい
あしたの自分は
もしかして もしかして《BGM: 篠原美也子『water』》
http://www.room493.com/discography/新しい羽根がついた日/water
先日からお届けしてますBGM指定ブログ(笑)、おなじみ篠原美也子さんの曲から、今回はこちらを。
本当は何もかも見えていて、何もかも知っている彼が、それを呑み込んでもう一度夢が見たいと苦笑交じりに打ち明ける……宗三左文字というひとは、そういう、今にも消えそうな灯を掌で包み込むような調子で「夢」を語る。そのあまりのほろ苦さに、いてもたってもいられなくなります。
(以降、宗三左文字極のネタバレです。とんでもなく長いです。休み休みお読みください…)
極める前の宗三が「天下人の象徴」と言っていたのと同じことを、極めた後の彼は「天下取りの刀」と表現したところが、今回の修行の成果のうちの一番端的なところなのかもしれない。このふたつは、少なくとも彼の心情面で、全く別物であるような気がします。
まず「天下人」と「天下取り」の間の差について、前者は既に天下を取っている人を指します。それに対して後者は「天下を取る」という行為そのもの……そこから派生して、「天下を取ろうとする人」という意味をもつ名詞としても捉えられるかもしれないけれど、いずれにしろ、前者は状態を、後者は意志を表しているのだと捉えられます。
続いて「象徴」と「刀」の違い。これは言うまでもなく、自分を武器だと捉えているか否かの差ですよね。
(厳密にいえば彼は極まる前から自分を武器だと思ってはいた、もしくは、思いたかったはずだけど、現状の自分を鑑みるにとてもその認識を振りかざせはしないと諦めてきたのではないかなあ)
だからここの差こそが、彼の修行の肝だと思うんです。
信長をはじめ(もしかしたら義元公から始まっているのかも)天下を求める人々の思いを背負って、それこそが宗三左文字という刀の価値だと引き受けて、その逸話ゆえに語り継がれて現世に顕現した自分は、それを武器として戦う、一振りの刀の化身である、と。
それは、旅立つ前からなにひとつ変わらぬ事実だし、彼自身初めからわかっていたことで、けれど、捉え直すことだけでここまで力に変えてきたんだなと、その精神力の強靭さに圧倒されます。
それでもやっぱり、僕が天下をもたらしたのだとは思っていないですよね? 本丸ボイスのひとつ「僕が居るから天下を掴んだのか、天下を掴んだから僕を侍らすのか…」は、明らかに後者であると言外に言っている。「天下を掴んだから僕を侍らす~」の部分の声音が、ある意味極める前よりも頼りなく揺れていて、彼の中ではきっとこちらが正解なのだという答えをとっくに導き出しているのだと思います。彼はきっとどこまでもリアリストであり、まるきりの夢追い人には決してなれないんだろうな。
それでも、そんな彼が、夢を見たいと言って帰ってきた。
彼にとって、恐らく、少なくとも明歴の大火以降は長い長い余生だったし、それは今でも変わらないのだろうけど、この本丸で彼は、いわば終活をすることにしたのかもしれない。
ただ続くだけの余生ではなく、いつか笑って終われる日のための、出来る限りの戦いを。
「貴方も、天下が欲しいのでしょう? そうじゃなきゃ、僕を置いておく理由がない」
これも、極める前と共通するキーワードを違う表現で改めて言い直している台詞で、極める前の彼は「貴方も、天下が欲しいのですか?」でしたね。「ですか」も「でしょう」も疑問の形を取った確認だと思うけれど、後者のほうがより強い確信のように聞こえます。ところが、その後に続く「僕を置いておく理由がない」の部分は、ちょっと意外なほどに声音が湿っていない。ここで、さにわはふとひとつの可能性に思い至るわけです。
「……極宗三のこの、強烈な天下取らないんですか圧、もしかして、小粋なジョークのつもりなの……?」
思い返せば極まる前から「いいんですか? 籠の鳥を表に出して……冗談ですよ」などという名台詞があったことですし(極まってもこれは健在、うれしい)、宗三左文字という刀は存外に軽口を言うんですよね。ギャグセンスはイマイチっぽいですけども(笑)
考えてみれば宗三左文字ほどに聡い刀が、2205年の政府に雇われた審神者に、本気で天下人になってくれと望むなんてことは考えにくいんですよね。これは審神者個人の能力の問題とは関係なく、審神者が日々こなしている任務、そのために刀剣男士を束ねて統率すること、それらが政府という上部組織からの委託を受けて執り行われているということ、少なくとも弊本丸の宗三はもう3年近くこの本丸にいるので、知らないはずがないんです。
だから、彼の「天下、狙っているのですか?」とか「貴方も、天下が欲しいのでしょう?」とかは、文字通りに捉えると間違えてしまうのかもしれない。かといって、まるきりのジョークというわけでもないのだろうとも思う。彼は3通目の手紙で確かに「そんな夢くらい、見てもいいでしょう?」と書いてきたし、その夢というのは、彼が引き受けて帰ってきた「天下取りの刀」という物語と、きっと深く関係している。
まず基本的な話として、彼にとって、2205年本丸の審神者が天下人ではなく、天下を狙っている人でもないということ、それそのものがおおいに「夢」でありうるのではないかと思うのです。なぜならそういう主が宗三左文字を所有し戦わせる理由は、「天下がほしいから」などでは決してないだろうから。天下取りになど縁のない審神者に使役され戦う限りにおいて、彼は自分があたかも「なんの変哲もない、当たり前の、純粋なるただの刀」であるかのような気持ちになれるから。
たとえ本質的には何も変わらないのだとしても、そのことは彼にとってそれなりに大きな意味がある…のだと、思いたいところです。そしてそれは、おそらく、彼が自ら修行を申し出るにまで至った理由でもある。彼は、本丸での暮らしの中で、既にある程度、自分で自分を救ってきたのかもしれない。
けれど、またおそらく、それでは不十分なのだろうとも思います。これまでのたった3年、これからも審神者のもとで審神者が死ぬまで戦い続けるとしても、せいぜい50年。その程度の年月で塗り替えられるほど、彼の来歴は短くもないし、薄くもない。
何より、審神者のもとに顕現したこと自体が、天下人の象徴(もしくは天下取りの刀、同じことだけど)だったという彼の来歴に基づくものであることをも、彼は痛いほど知っているはずなんですよね。
だから、今代の主のもとでどんなにただの一振りの刀として扱われようとも、この僕が魔王の影、天下人たちの欲望から逃れることは本質的には決して叶わない。だって貴方は、ただの刀だった頃の僕を知り得ないし、むしろ僕が自分自身でその可能性を否定して帰ってきたのだから、貴方は永遠に、ただの刀としての僕を使うことはできない。貴方は僕のことを純粋に戦力として頼りにしていると言う、けれどその力とはつまるところ、魔王から始まる天下取りの物語を媒体として励起されたものだ。
貴方がそう意図しているかいないかに拘わらず、貴方は僕の後ろに魔王の影を見ているんですよ。
いいんです、そういうものだとわかってここにいますから。貴方は貴方が思うように僕を使えばいいんです。
……極めた宗三が、審神者のもとで戦う未来に夢を託した(意訳)と手紙で書きつつも、何度となく「天下がほしいのでなければ僕を置いておく理由がない」「貴方もそのうち気づくんです」と、ひどく透徹した口調で繰り返すのは、そういうことなのかなと思います。
審神者のもとで戦っているという事象、それ自体の中に、魔王の影が写り込んでいて、できることならばそれをどうにかしたい。
そのために――彼は彼の野望のために、審神者に強くなってもらいたい、のだとしたら?
この本丸で、今代の主のもとで、純粋に武器として戦う刀。その新しい物語が、真に彼の新しい価値として人々に語られるようになるために、審神者には歴代の主に劣らないほどの功績を上げてもらいたい。あわよくば、魔王を超えてもらいたい。(別に日ノ本を手中に収めるとかいうことでなくてもいいと思うんです、ただ、時間遡行軍を迎え撃つ政府軍にこの備前**番本丸の審神者在り、と称されるくらいの活躍をすれば)
今代の主がそこまでの武功をあげられるよう力を尽くした、一振りの刀として、宗三左文字の名が語られるようになれば、その時初めて彼は魔王を乗り越えられるのかもしれない。彼が魔王によって刻印を与えられた刀であるという事実も、その後に連なる歴代主に、その刻印ゆえに求められたという事実も、何ひとつ改変することなく、彼は自身に覆い被さる「魔王の影」を、白飛びするほどの光で追い払うことができる。
そのための力を得て、さらにそれ以上の力を求めて、宗三左文字は本丸に帰還した。
……のだとすると、仮にそうだと考えると、なんと深い絶望の果ての、なんと業に満ちた夢だろう。
そのための道連れとして、もしくは、踏み台として、審神者を利用するというのなら、もういくらでも食らい尽くしておくれと身を投げ出すより他にないです。
勝ち目がある、勝ち目がないは、問題ではないのだ。(走れサニワ)
そして。
そこまでの業を抱えながら、彼は、その夢をまさしく「夢」、叶うあてのひどく薄い夢であるとも、思っていると思うんです。叶っていないからこそ「夢」であり、うすい望みと書いて「希望」と呼ぶのだと、宗三はきっと痛いほど知っている。それでも、夢を見ずにいられない。
それこそがおそらく、彼に刻まれた魔王の刻印ゆえ、なのではないだろうか。織田信長27歳、海道一の弓取りを討ち取った誇りと天下取りへの野望があの金象嵌銘に込められていて、鋼に刻まれたそれはおいそれと消えず、また金だからいつまでも色褪せない。そういう刻印が、宗三左文字に何度でも夢を見せてしまう。たとえ、彼自身は、十中八九かそれ以上無理だと悟っていたとしても、そこに一縷の可能性を見出さずにおれない。彼が魔王から託されたのは、魔王の見果てぬ夢だったから。
……と、ここまで来ると個人的な妄想ですが、宗三とはつくづく、考え続け、歩き続けずにはいられない永久機関なのだなと、果てしない気持ちになります。
そんな業をすべて引き受けて、天下人の象徴(=天下取りの刀)である自分を受け入れつつ、魔王の影を振り払う、そんな奇跡のような大逆転を「夢くらい、見たっていいでしょう?」と書いてきて、主である審神者すらを利用して、戦場では高らかに名乗る。
宗三左文字は、強靭な刀です。
(しかも、それを普通の人間である審神者に覆い被せてしまうのは重たいであろうこともおそらく分かっていて、だからわざと、「天下、狙っているのですか?」などという言い方で、しかもサラリと言ってのけることで、冗談とも取れるように投げかけてくれているのかもしれない……というのも個人的な妄想ですが、だとしたら、やさしい刀だなあ)
けれど、その強さとは、あるひとつの「夢」を完全に諦めてしまったがゆえの強さなんですよね……
「分捕られても、磨り上げられても、焼けてもいない、まっさらなただの左文字の刀であった頃の光を取り戻して、純粋なる武器として戦うこと」
おそらく、これが宗三の胸の奥深くに熾火のように点り続けていた夢であって、もちろん歴史を捻じ曲げようなどとはつゆとも思っていなかったろうけど、修行の中で過去をもう一度見てきて何かを乗り越えれば、その頃のようにまっすぐな力を取り戻せるかもしれない…という淡い期待くらいは、持っていたんじゃないかと思うんですよね。
それを、綺麗さっぱり諦めてきた。
彼は、未来を諦めないために、過去を諦めることにした。
もしくは、これから先の本丸での戦いでもって、自らの来歴を迎え撃つことにした。
私のイメージの話なんですが、宗三っておよそ自分以外のありとあらゆる刀たちを羨ましく、眩しく、美しいと思ってきたけれど、そのことが死ぬほど悔しくて、とても口になど出せない……そういう意地をすべて、あの曖昧な笑みの下に押し込めてきたのではないかと解釈していたんです。それは、たぶん、極まってこんなに美しくなって帰ってきても、本質的に変わらないところなのだろうと思う。
彼がまとってきた美しさは、あくまで「天下人に愛された刀」としての美しさ。武器としてよりもステータスとして求められ、所有することそのものが目的と化し、着せ替えを作られて飾られた、けれどもそれこそが僕であって、そういう刃生は思えば魔王から始まったようなものだけれどその肝心の魔王は払拭できなかったし、払拭するということは歴史を変えることだからもとよりそのつもりもなかった。
極となった彼が、修行見送りボイスで「羨ましいな……あんなにもまっすぐに、主を思えるのですから」と言うようになった――「羨ましい」と言えるようになってしまったことに、若干打ちひしがれてしまったことを白状します。
仲間たちは皆、まっすぐに主を思い、強くなりたいと願い、そしてきっと、真っ当な武器としての力を携えて帰ってくる。
そういう夢は、僕に関してはもう潰えてしまった。魔王を乗り越えられないと悟ったその時に。
その点に限って言えば、彼はもう、勝負を降りてしまったのかなと思いました。
勝負を降りれば、もう負けない。負けないなら、悔しくはない。なぜなら僕は、もう決して純粋なる武器には戻れないし、純粋な武器ではないということこそが僕の存在意義であり、力であるから。
それでも、やっぱり、羨ましい。
あるいは、勝負を諦めたからこそ、あれらがこんなにも尊く、光り輝いて見える。
もう決して取り戻すことはできない光を遠くから眺め、その眩しさに目を細めながら、彼は彼自身の膨大なる重荷をすべて引き受けて、それこそを力として戦うことにした。
その眩しさを表明するのに、あれほどに透明な声音で述懐するんですよね…
もはやそこに妬みはなく、妬みがないということはつまり、もはや自分には縁がなくなってしまったものと諦めの境地に至ったということ。
やっぱり、宗三と小夜って本当によく似た兄弟だと思いました。
すると、江雪さんも同じように、過去を精算することを諦め、むしろすべてを引き受けることで、より暗がりへと身を移し、そこから光に満ちた場所を眺めつつ、自身の物語の体現者として戦う、そんな茨道を選ぶのだろうか。
そういうところが大好きなんですけども!!!!!
これだから左文字は!!!!!!
それでもなお、純然たる刀ではあれなくなってしまった己の来歴の上に、あわよくば新たな来歴を積み重ねたい、 そう思ってこの本丸に戻ってきてくれた宗三左文字は本当に、何度でもいいますけど、強靭な精神力の持ち主だと思います。
変わり者の主だと分かってて戻ってきたんだよね!!!
覚悟はいいよね!?!!!(おもに私が)