夢の片棒、担いでもいいのね?

《BGM: 篠原美也子『rainbird』》
http://www.room493.com/discography/桜花繚乱/rainbird
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6694144

 宗三の手紙、3通目です。
 それがあなたの結論なんだね。とてもあなたらしいです。読みながら、声が聞こえてくるようだった。Twitterにて「公式に宗三がいる」というパワーワードがフォロイーさんによって爆誕しました。その表現よくわかります。
(以降、壮絶にネタバレです)

 夢を見たいと言ってくれてありがとう、その夢を私の本丸で見たいと言ってくれてありがとう。君の夢の片棒を担がせてもらえることがさにわは本当にうれしいよ。
 欲求のうち叶っていないものを夢と呼ぶし、うすい望みと書いて希望と呼ぶんだということを、宗三はもうとっくに、誰よりも痛切に知っていると思うけれど、それでもその「夢」を見たいと言ってくれた。今、この今生で。折れることで得られる解放によってではなく、これまで三年間過ごしてきた本丸で、これからも生きつづけることによって。
 

 魔王の影から逃れることで、彼は何を叶えようとしていたのだろう?
 そもそも、魔王の影から逃れるとは、どういう状態になることを言うのだろう?

 前者については、彼の旅立ちの目的を思えば、それが答えなのかもしれない。彼は強くなるために旅に出た。「強くなりたい」……もしかしたらその中には、手紙にも書いてきていないし旅に出る前にも一度たりと言わなかった、「磨り上げられたり焼けたりする前の、まっさらな左文字の太刀であった頃の力を取り戻したい」という、叶うはずのない、決して叶えてはいけない、そして正直なところ叶えるつもりもさらさらない夢さえも、含まれていたのかもしれない。具体的な出来事も気持ちもついに打ち明けてくれなかったので、本当のところはわからずじまいですが。
 そして、「変わるために魔王を乗り越えようとした」と2日目の手紙で言っていたけれど、それはすなわち、魔王の影響下から脱するということなのだろうか。織田信長が宗三左文字に与えた影響というのは本当に計り知れなくて、まずもとの主である今川義元を討ち取り、その愛刀であった彼を分捕って我がものにした。好みの長さに磨り上げ、左の刀工銘が消えたところへ桶狭間での戦勝のしるしを彫りつけた。その銘が彼の新たな付加価値となり、信長の死後もますます価値は増し続け、江戸城で焼けてもその付加価値ゆえに再刃された。彼の来歴のどこを切り取っても、織田信長の影響しなかったところは皆無と言って差し支えないんですね。
 そんな彼が「魔王を乗り越える」など、もはや不可能であり、魔王にまつわるエピソードこそが彼を彼たらしめている、そのことにも、もしかしたら最初から気づいていたのかもしれません。

 過去を振り返る限り、そこには巨大なる魔王の影があり、それは払拭など決してできないし、彼に魔王を殺す気がない以上、つまり乗り越えることは不可能です。おしまい。
 ……ということになってしまうし、だから実際問題として、宗三は魔王の残像に対しては敗北宣言をするしかなかったのだと思います。敗北を認めないということは、すなわち歴史修正主義に傾くということだから。

 けれど、ですが、と彼は付け足してきた。
 いつかは変われるかもしれない、と。そのための場所として、この本丸を、今生の主である審神者の刀として使われ続けることを選んだ。
 彼は、未来を諦めないために、過去を諦めたのではないだろうか?
 言い換えれば、ここから続く未来でもって、過去に復讐しようと思ったのではないだろうか?

 彼にとって、過去を背負い続けるというのは覆しようのない既定事項で、魔王といえどもただの人間であるということが始めからわかっていたのと同じくらいには、その魔王の影響下にある自分の物語を背負い続けなければならないということも、わかっていたのだと思います。
 磨り上げられて銘を失い、焼けて刃文まで失った彼の来歴は、そこだけ取り上げれば、決して彼に強さを与えてはくれない。そこを変えようと思えば歴史を否定することになってしまう。結果、出口のない問いに疲れ果て、残されたたった一つの出口が「折れること」であったから、旅立つ前の彼は折れる時にあんなに満たされたように笑っていたんだろう。
 けれど、折れること以外の突破口を、彼は未来に求めた。
 何度でも声に出したい日本語だけれど、彼が三年間を過ごしたこの本丸で、今生の主である審神者のもとで戦う未来に、彼は、夢を見ることにした。

 夢、と言ってしまっているあたりが、彼は本当にリアリストだなと痛感させられるし、そこで「強くなってみせますよ」などと言えてしまうほど無邪気にはなれないのかもしれないなあ…
 だからこそ、「そんな夢くらい、見てもいいでしょう?」なんて表現を選んでくる。
 仮に、見てはいけない、見るだけ無駄だと答えたとしても(そんなこと死んでも言わないけど…!)、それが彼の出した結論であり、彼の決断に何ら影響はしないのだろうけど、この場合は少しだけ、その鉄壁の意志の奥でささやかに揺れているだろう、彼の心の柔らかい部分に思いを馳せたいです。
 あまりにも多くの来歴によって縛られた宗三左文字という存在が「いつか」なんて未来を語る、ということにまつわる、少なからぬ気恥ずかしさを、「夢くらい見ても」とどこか拗ねるように、混ぜっ返すように告げる。混ぜっ返さずにはいられないほど、きっと、切実な願いなのだと思います。

 結局、彼が旅の中で何を見て、それについてどう感じたのかについては何も聞かせてくれなかったけれど、そんな切実な願いの、ほんの一端でも覗かせてくれてありがとう。
 夢、いいじゃない。一緒に見ようよ。君がわざわざそう書いてきてくれたってことは、その「夢」の片棒を審神者が担いでもいいってことだよね?
 君がもう暑苦しいからやめてくださいって言ったって、構わず担ぎまくってやるから、覚悟しときなさいよね(笑)