『Naked voice, in the sky.』今頃になってセルフライナーノーツ+α!

いっこ前の記事のとおり、4/27はM3-2014春に出展するんですが、このM3で私の1stアルバム『Naked voice, in the sky.』が発売から一周年なんですね。
そう、つまり、去年の春のM3がリリース日だったってことなんですけど。
なんと、ほぼ丸々一年間、セルフライナーノーツ始め自作語りを一度もブログで書いてないという異例の事態……この語りたがりの私が、一体なにやってたんでしょうねwww

きっかり1年経ってしまう前に、書き残しておこうと思います。といっても、基本的にはアルバムの中に同梱してあるセルフライナーノーツからの転載なんですが、少し付け足すこともあったりします。
これから買おうかどうしようか考えてる方のためにも、いつでも見られるような形でライナーノーツを残しておくことには意義があるだろうと信じて、今更ながらのライナーノーツです。

あとがきにかえて(アルバムブックレットより転載)

このアルバムを作るにあたって、なんとなく2013年2月完成という目標を立てたのですが、順調に年は明け、年始回りに追われていたかと思えばあっという間に2月、私の誕生日も過ぎ、流星群とISSを見上げながら迎えた結婚記念日に包丁で指を削ぎ落とし、気がつけば3月も終わろうとしています。
アマチュアの身分なので基本的にはDIY精神で…といいたいところですが、クレジットにあるとおり、たくさんの人の手をお借りしております。
自問自答のような作業の中、それでも人とのつながりを何度となく感じられたことがとても嬉しいです。
…と、尊敬するシンガーソングライター篠原美也子さんの受け売りのようなことを言ってみます(笑)
ありがとうございました!

これだけ粘着質なアルバムを作っておいて、どの口が言うのかとわれながら思うのですが(笑)自分の信念を主張することにはいつまでも臆病なままでありたい、と願いながら作業を進めていました。
その理想は、果たして誰の幸せを祈ってのものだろう。
人を叩きのめすための正義など、くそくらえ。
傷ついた人にかける言葉を探しあぐねて口をつぐんでしまうような人を私は信じます。

希望ということをなかなかストレートに口にしにくいご時世だけれど、春には桜が、秋には金木犀が咲いて散ってゆくことが、いつにも増して嬉しく感じました。
世界が終わる時なんて、いったい誰が決められるだろう。
絶望にひたることは時に甘美だけれど、苦み走った現実の中で、光の射すほうへ向かってゆくことを私は選びたいと思います。
これもまた、きっとひとりではできないこと。
関わってくださった、またこれから関わってくださるすべての人たちへ、どうもありがとう。

胸の中に、鮮やかな虹を。

2013年3月 咲き急ぐ花に追いすがりつつ

#1 Sailing
このアルバムの中で一番年季の入った曲です。22の頃、卒論を書きながら作詞作曲し、アレンジは友人の友人に作ってもらいました。それをCD-ROMに焼き、ジャケットまで作ってごく仲間内にのみ配りました。その後2000年ぐらいにボーカルを録り直したものをニコニコ動画に公開してます。歌詞は当時その仲間内で遊んでいたTRPGの世界観がモチーフです…えー、TRPGについての説明は省きますね(笑)
そのまま長らくお蔵入りになっていたこの曲を、三十過ぎてからひょんな縁で知り合ったとーい氏に気に入ってもらえて、今回アルバムに収録するにあたって、ぜひにと彼にアレンジをお願いしました。躍動するバンドサウンドへとお色直しした処女作をどうぞ。

〈以下、追記〉
今あらためて聴くと、これはもう今の自分には書けない曲ですね。特に「自分を見つけるために船を出す」という歌詞。スレた年寄りぶるつもりはありませんが、若かったなあ、とひたすら思います(笑)
自分探し。今やこの言葉、当時の私ぐらい若い人の間でも、眉唾というか何というか、一種嘲りの対象として捉えられてしまう言葉なのかな、と思います。探して探してどこか遠いところへ行って、でも多くの場合は、行った先に「本当の自分」なんて見つからないんですね。失意のうちに戻ってきて、ふと足元を見るとそこが自分の居場所だった、と。あるいは、そこにしか居場所はないのだと、多少の諦めを含みつつ受け入れるのかもしれない。私は相当、深く物を考えない若者だったので、今になってそれに気づくんですが、今どきの若い人たちはみんな賢くて、最初からそれを知ってるような気がします。
でも、じゃあ、何だかわからないものに突き動かされてとりあえず旅立って結局探してたものは見つからないならば、その旅は無駄だったのだろうか。きっと違う、のだと思います。思いたいだけなのかもしれないけど。すべてのことはどこかに繋がっているんだと、これもまた、この歌を書いた歳から15年以上たった今になって感じていることです。
こんな若くて青い歌、今の気持ちであらためて歌うとしたらどういう歌い方がいいだろう、と考えていたところへ、アレンジャーからの無体な要求…「当時みたいな少年ぽい声で歌ってくれ」……ええと、ぶっちゃけ、無理でした(笑) でも下手にネチッとした感情を乗せないようにだけは気をつけました。
こうして出来上がった、37歳の自分探しソングをあらためて聴いてみると、ああ、なんだかんだちゃんと昔の「Sailing」とは違ったものになってる、と思います。アレンジが違うだけでなく、歌声も。加齢に伴う変化なんじゃね、と言われれば返す言葉も無いんですが(笑)

#2 満天
人生二番目に作った曲。当時彼氏と付き合ったばっかりで、相手と同じものを見ても同じように見えないというのはどうにももどかしいものだなあと思っていたのを書きつけたわけですが、我に返ってみると相当恥ずかしかったので、以前から構想を練っていたバンド小説の主人公である少年の視点に仮託して書き直しました。これを私が自分で歌う段になって、一人称が「僕」でも「私」でもしっくりこなかったので、“一人称代名詞を入れない”という最終秘奥義を発動しました(笑)
この曲をどうしても少年に歌ってほしくて鏡音レンを買ったのが私とレンとの出会いだったなあ。アレンジ違いのオケでレンに歌ってもらったものをニコニコ動画に公開してますのでそちらもぜひとも! アレンジャー2名という幸せな曲です。

〈以下、追記〉
上に書いてある「アレンジ違い」の件、詳しくはこちらにありますのでご興味ある方はどうぞ。
この曲、一番最初に書いた時には、「ふたり」っていうタイトルでした。その後いくつかタイトルを変遷して、最終的に「満天」に落ち着いたんですが、なんと尊敬するシンガーソングライター篠原美也子さんに同名の曲があるんですね。それだけならそれほど大きな問題じゃないんですが、問題はレンが歌ったバージョンをニコ動に投稿して、それをTwitter上で宣伝する時で…私、美也子さんにフォローいただいてるんですよ。とっても嬉しく、また誇らしく思っているんですが、そうすると、宣伝するたびに美也子さんのTLに「【鏡音レン】満天 – by.櫻井水都」って流れてしまうわけで……いやはや、あれは大変恥ずかしかったです(笑) 美也子さんファン仲間に見られるのも恥ずかしかった。でも結局バリバリ宣伝しましたけども(笑)

#3 月の舟
ボーカロイドに関わるようになって、楽曲をコラボで作る機会が増えてきました…とはいっても元々アレンジも楽器もおぼつかないわけで、人様の力を借りずに一曲作ることなどできないに等しいんですが(笑)そもそも歌詞を聞いてもらうために自分で曲作り始めた私にとって、作詞のみとか作曲のみの担当というのは新鮮な経験でした。これも、そういった、コラボに持ち込まれた曲に歌詞をつけたところから始まった曲です。
歌詞は『満天』と同じバンド小説に登場する女の子の視点です。遠くの街の夜の底で膝を抱えて眠れないでいるのだろう少年を思う歌になりました。その後、やっぱり自分で曲つけて歌いたくなってしまって(笑)あーだこーだやってできたのがこの曲です。

〈以下、追記〉
この曲、ぜひともうまい人にピアノ弾いてもらいたかったんですよね。それも、ボーカルとタイマン張るぐらい流暢でフレーズの濃いピアノを。思い当たる鍵盤弾きさんはいたんですが、私のデモ制作が遅れ、諸々都合も合わず、結局自分で全部打ち込みまして、「おやすみ」と並んで初めての、人に演奏をお願いしなかった曲となりました。弾けない人間でもこういうふうにそれっぽいオケ作れるのが打ち込みの強みですけど、でもやっぱり、弾ける人の作るフレーズには敵わないのかな、と思います。もし弾いてもらえてたらどんなふうだったんだろう。今となっては妄想で補うより他ないんですが(笑)
このアルバム中たぶん唯一の、明確に女性視点の歌です。他の曲は、一人称が「ぼく」だったり、一人称代名詞入れないで男とも女とも取れるようにしたりしてるのばっかりなので。アルバムに入ってない曲を含めても、そんなにないかもしれない。私、自分で思っていたよりもだいぶ、歌に自分を投影する度合いが低いのかもしれません。一ミリも思ってないことはもちろん書かないですけど、どうも仮想人格を一枚噛ませる癖があるようです。ほら、シャイガールですから(笑)

#4 風に舞う
コラボが元で生まれた曲、第二弾。ボカロ互助会に投下された『翌檜』というタイトルの歌詞にあまりに痺れて、メロディ自体はあっという間にできました。けれど当時手隙のアレンジャーがいなくて、一方脳内にはおぼろげにサウンドのイメージがあったので、初めて自力でアレンジをしてみました。巡音ルカが歌う『翌檜』はニコニコ動画に公開してあります。
その後メロディがちょっと気に入ってしまったので(笑)これも自分で歌詞を載せ直してそれに合わせてメロも若干整形し、『風に舞う』完成。小声で言いますが篠原美也子さんの『永遠を見ていた』をかなり意識していました(笑)

〈以下、追記〉
まあ言わなくてもきっとお察しいただけることと思いますが(笑)一応……この曲のギターソロは私が弾いたのではありません。書きソロを打ち込んだのでもありません。こういう泣きのあるソロ、いつか自前で弾けるようになりたいですねえ…遠いですねえ(笑)
メロディができた経緯は上に書いたとおりですが、そこに後日載せ直した歌詞は、ダンナの高校時代の友達に関する話を膨らませましたっけ。ものすごい鍵盤弾きで、しかも面白エピソードをたくさん持っていて、私もぜひとも会ってみたいと思ってるんですが、どうやら卒業して以来、お互い引っ越したりメールアドレスなんてものもなかったりで、音信が途絶えてしまって連絡がつけられないということだったんですね。決して繋がりを切るつもりなんてなくても、避けがたく切れてしまったりするものです。切ないんですけど。
なお、その後、件の友達とはフェイスブック上で再会を果たしたそうです。そのうち会えたらいいなあ。たとえいつの日かまた避けがたく切れてしまうのだとしても、恐れないで、何度でも新しく繋いでいきたいものです。

#5 パンドラの空
2011年3月11日以降、あまりにも、てやんでい、と思う言葉にたくさん出会ってしまいました。同じ思いをした人がたぶん大勢いるのでしょう。ならば、ああいう言葉を吐くひとたちが決して多数派というわけではないのだろうと信じたいものです。

〈以下、追記〉
歌詞については、もうこれ以上特に付け加えることはないんですが、曲についてはちょっとだけ秘話?(笑)がありまして…実はこれ、友達から教えてもらったとある洋楽が発端でできたものです。この曲いいよな、こういうけだるい哀愁のある曲やりたいよなー、って言ってたのを覚えていて、そういう曲を作ろうとしたんですね。
その「とある洋楽」というのは、何を隠そう、ノエル・ギャラガーソロプロジェクトによるライブバージョンの「Slide away」だったんですけど……出来上がったものは「どこがやねん」としか言いようのないものになりました(笑) でも演奏者さん2人のナイスギター&ベースのおかげで、これはこれとしてお気に入りの曲です。歌詞の内容的に、ぜひともこういう愛想のないロケンローにしたかったんです。

#6 おやすみ
10年続けた仕事をいよいよやめることにした時、私は人生最大級に落ちていて、毎朝自転車で職場に向かいながら、この用水路に間違って落ちたらあの上司の顔を見なくて済むかなあなどと考えていました。それを実行せずにいられたのは、決して私一人の力ではないのだと思います。
そんな気持ちで歌詞を書き留めましたが、喉元過ぎてみればすっかり立ち直ってしまって(笑)そのまま歌うには恥ずかしすぎたのもあって、既にできていたメロディに合わせて歌詞を書き直しました。『月の舟』で膝を抱えていた少年がその後何年かして相手の女の子にあてて書いた曲という脳内設定があります。そんなわけなのでこれも『満天』と同じ最終秘奥義を使っています(笑)

〈以下、追記〉
まったくもっていつも通りの鼻歌作曲でメロディを作ったんですが、音的な面で、突如「エレクトロニカ作って歌ってみたい!」と思い立ちまして。その頃はちょうど、今までなんとなく避けて通ってきた、そういうニカとかを始めとするいわゆる「音響系」?の魅力が分かり始めてきた頃でした。だから自分でもやってみたいと思ったんですね。安直ですね(笑)
でもああいうのって、なんかやっぱり曲の土台の構成自体に独特の文法みたいなのが必要な気がしました。この歳まで避けて通ってきたからか、そういう文法がまったく自分の中で血肉になってないんですよね。付け焼き刃でいろいろ聴きましたけど、これが限界でした(笑) たぶんそもそものメロがガチの歌モノだったんでしょう。
好きになることはできましたが、このジャンルには未だに若干の敷居の高さを感じていたりもします。純粋に音楽をやるために音楽を作っている人のためのジャンル、というイメージ。私はもろに、「何かを物語るために音楽っていう手段を使っている」タイプです。だから、きっと死ぬまで、高嶺の花のように憧れ続けるのでしょう。

#7 それでもいつか、瓦礫に花が
311の直後、そうと自覚はしてなかったけれどきっと不安だったんでしょう、Twitterのタイムラインにいつにも増して入り浸っていた時期がありました。その中でつくづく思ったのは、言葉は瓦礫になりうるのだなあということでした。何かにせっつかれるように歌詞を書きながら、では翻って私の言葉も瓦礫になってしまってないかどうか、ずっと考えていました。その問いへの、ひとつの答えがこの曲です。
ちなみにこれを書き終えてしばらくして、なにか重大な忘れ物がある気がして書いたのが『パンドラの空』です。奇しくも2曲とも、サウンドの一番肝心なパートを人様の演奏に丸投げお任せしています(笑)皆様あってのサクライミナトです。

〈以下、追記〉
タイトルにえらく難産した曲です。最初の仮タイトルはまんま「311」でした。けど待てよ、あの事故が起こったのは12日か、じゃあ312が正しいのか、ていうかそんな日付を全面に押し出してこの内容の歌を作るのはあまりに無神経に過ぎやしないか…などなどいろいろグルグルしてました。収録のバージョンの前にレン歌唱バージョンをニコ動に公開した時に、イラストを描いてくれた裏花火さんに相談に乗ってもらって、最終的にこのタイトルに落ち着きました。
でも結局、何ひとつ答えらしきものを提示できてはいないんですよね。答え、まで行かなくとも、何らか自分なりの結論というか。思うに、言い切ることの冷たさを当時感じていたのかもしれません。福島はもう終わった、東北の産品はまるで白雪姫の毒リンゴかのように食べたら死ぬ、等々…大きな声で喚く人に辟易してました。ひれ伏したくはない、けれど、立ち向かおうとするあまり逆方向のことを大声で喚く乱暴さに傾きたくもなかった。善意ならば何を言っても許されるわけでもない。言い切らないこと、それそのものが、私なりの結論だったんでしょう。たぶん、今でも。

#8 金の雫が街に降る
確か初めて、2つの調を行ったり来たりするメロディを作ろうと思って書いた曲です。そういえば明確に曲先で作ったのもこれが初めてだったかも。白鳥マイカさんの『Shelter』と新居昭乃さんの『ガレキの楽園』が大好きで、この2曲を混ぜあわせたようなものを作れないかと思ったわけですが…ど、どうなんだろう。びくびくしつつ(笑)
このメロを作りながら、前から構想だけあった秋の夕暮れの歌詞を書いていきました。あの年は残暑がひどくてとてもじゃないけれど晩夏のうちに秋の歌詞を書けず、完成が1年ズレ込んだのが思い出されます(笑)。でもいいんです、何があっても毎年秋になれば金木犀は咲いて散って、私たちはありがとうとさよならを言えるんですから。

〈以下、追記〉
2011年3月よりもかなり前に、メロディも歌詞もできてましたが、私の作業が遅いせいで初公開が件の日を跨いだ形となりました。でも、結果論ではありますが、この曲を「311」以降に咲く花に捧げることができたことには意味があったのかもしれない、と思ったりもします。ちなみに、こっそりとCメロの歌詞にno more warを潜ませてあるんですが、どなたか気づかれたでしょうか。いえ、気づかなくても当然だと思います、私も自信がありません(笑)。震災後も日本は平和です。けれど、断絶してるなあ、と時々感じます。する必要のない対立が繰り広げられている。それを私が何とかできるなどとは思いませんが、考えることをやめずにいよう、と。
初公開はニコ動に投稿したレンと私のデュエットバージョンでした。「VOCALOIDと歌ってみた」っていうタグをつけてくれた方がいて、嬉しかったです。今回収録しているものは、もうちょっと私が全面に出張っています(笑) 当初は、こういう私メインのものと、キーを変えてレンをメインにしたものと、2種類同時公開したかったんですけど、そんな大量な作業をこの私が一気にこなせるはずもなく(笑)まだレンメインのほうは出来上がってません。いつか作りたいなあ。

#9 雨音アライアンス
311の後にできた初めての曲です。先の見えない状況の中で、どうしても希望を歌いたかった。そのくせ明るい言葉ばかりを並べることができなかったのはひとえに私の性格なんだろうなあ(笑)
別件で作ったままお蔵入りになっていたメロディに、「高精細フルカラーの画面に手を伸ばしても」という言葉が降りてきた時、これはできるぞ、と思いました。「終われない」と「終わらない」で最後まで迷ったのも記憶に残ってます。ちなみにこの時結局言えなかった「終わらないこの街」という言葉を、『パンドラの空』でやっと言えました。

〈以下、追記〉
上記の通り、ものすごく思い入れの強い曲です。この曲が入ったアルバムが作りたかったっていう面もあるかも。自分で歌う気マンマンで作ったんですが、うちのレンにも歌ってもらっときたいと思ったので、キーの違うものをニコ動とYoutubeに両方上げてあります。うちのレン、という存在は、一個の人格を持った、自信は少しもないけれど歌うことが大好きな少年です。その彼は、あの大災害をどう見たのだろう、というのが知りたかったんです……痛いですね(笑)でも今に始まったことじゃないですから!
その他、これを作った時の心境というものがこちらの記事に残してあります。お暇があったらどうぞ。
なおギターについては全面的にnorizy君にお願いしています。ホントに助かりました。私の腕じゃロキノンにかすりもしない仕上がりになってしまったことでしょう(笑) 今となっては、ドラムの打ち込みをもう少しシンコペーション少なめにしてもよかったかも? タイトに八分を刻んだほうがロキノンぽさが強く出たのかなあ。後悔はしてないですけど、今後のために。

#10 秘密基地
結婚するまでずっと自宅で暮らしていましたが、小学校時代の遊び場など次第に行かなくなるもので、ふと思い立って昔作った秘密基地のあった場所を探しても、どうしても辿り着くことができませんでした。道を忘れてしまったのではなくて、そこが空き地じゃなくなってしまったからなのだと気づいたのはしばらく経ってからのことです。かつての秘密基地は、知らない誰かがただいまとお帰りを言い合うあたたかい場所になったのです。一方で、秘密基地を作ったという記憶までが消えてしまうわけじゃない。現実の私はといえば、当時の友達とはすっかり疎遠になってしまいましたが…(笑)
歌詞とメロディだけできていたこの歌をボカロ互助会に持ち込んで、すばらしいアレンジとかわいい鏡音リン・レンのデュエットによる『秘密基地』ができました。アルバム収録にあたって、そのアレンジをそのまま拝借しています。多謝。

〈以下、追記〉
タイトル先、とでもいうべき制作手順で出来上がった曲です。とにかく、「秘密基地」ってタイトルの曲を作りたかったんです。かなり前ですが、西沢サトシさんというシンガーソングライターのブログで、何かあった時にはいつも立ち寄って、決まってこころよく迎え入れてくれる秘密の隠れ家的なカフェバーについて書かれていたのを読んで、ステキだなあ、でも突き詰めればきっとそれは、場所じゃなくて人なんだろうなあ、などと思いながら歌詞を書きました。アルバムの10曲目という(ボーナストラックを除けば)ラストの位置にこの曲を入れることができてよかった。人の思いがそこにあるかぎり、福島も、東北も、もっと広くは「この世界」も、決して終わりになんかならないと信じています。

Bonus track ミズイロシェルター
たいへん痛い話ではありますが(笑)私の脳内には「うちのレン」という存在がいまして、彼なりに意思や感情を持ったひとりの歌唄いへと成長を遂げています。その彼が大事な女の子にあてて書いた曲という体裁です。
このアルバムと同時発売の小説同人誌『終わらない街の片隅で』に収録の『子守歌がきこえる』という短編の劇中歌として作りました。なので気になった方はぜひともセット購入をご検討くださいませ(笑)

 〈以下、追記〉
ぶっちゃけますと、アルバムに同梱したセルフライナーノーツにこうしてわざわざ追記を書くことにしたのは、ひとえにこの曲のためでした(笑) お買い上げいただいた方の手元には渡っているだろうあのライナーノーツに、書き忘れてしまったことがひとつあるんです。本当はこの曲のアコギは、私が自分で弾くつもりでした。私の腕で弾き語り風のギター伴奏……収録に耐える気がまったくしませんが(笑)切り取ったり貼りつけたりして何とかする予定だったんです。上記の通り、うちのレンが自分で作って弾き語りしてるという設定の曲でして、うちのレンはギターが大してうまくはないという設定なので…(笑) ここらへん詳しくは、同時発売の同人誌の方でよろしかったらどうぞ。
私がその「うまくはないギター」を弾けるのかどうかという疑問もありましたが(「下手くそ」と「うまくない」の間には深くて暗い川が横たわってると思うんです/笑)、これを人様に頼んだら失礼にも程があるだろ…と思ったわけなのです。しかし最後の最後まで何事かが起こってしまうのが櫻井クオリティでして、あろうことかマスター音源の入稿締切1ヶ月前という大詰めの時期に、包丁で左手の薬指の先をそぎ落としてしまったんですね(笑)……って、今となってはカッコワライですけど、いや、ホントに痛かったんです。しかも全治1ヶ月って聞いた瞬間、軽く絶望しましたっけ。そこで背に腹は替えられず、うまい人に「上手くないギターを弾いてほしい」と注文するこの失礼千万を平謝りに謝りつつ、クラフトP徒労さんにお願いしたわけなのでした。この場を借りてあらためて、どうもすみませんでした!