櫻井毒吐きアワー

 日本時間3月20日昼、小ブッシュさんお待ちかねの爆弾ショーがついに始まってしまいました。
 既に死者も出た模様ですが、それぐらいのことで心を痛めるぐらいならば最初からこのタイミングで空爆を決行などしないわけでして、現在くだんの大統領氏の目にあの炎がどのような花火に見え、あの爆撃音がどんなビートとして聞こえているのか、大変興味の湧くところであります。
 
 ホント言って、日本にはこの空爆を支持などしてほしくなかったんですけど、日本の安全保障の現実考えると仕方がないのかなぁ。
 ニッポン侵略の危機に対して、駐屯アメリカ軍に牽制してもらってる状況で、安易にアメリカ批判するのは無責任で無思慮だ、という意見がある。確かにそうとも思う。
 アメリカ軍に常日頃守ってもらってるんだから、そのアメリカ軍が始める戦には馳せ参じなければならないってことですか。……はっ、今、一瞬「ご恩と奉公」っていう言葉が浮かんだぞ。いかんいかん、それはいくら何でも毒強すぎだろう(爆)
 でも、日本が戦争反対叫ばなくてどうするのよ、という思いはどうしても拭えない。
 ガチンコ対決しろとまで言わないでおくけど、せめて何かこう、苦言を呈するとかできなかったかなぁ。
 
 今の世界で、平和を訴えるには、どうやら充実した軍備が必要不可欠らしい。何だか大きく間違ってるような気がするけど、実際そういう構造になってる。
 「中立国」のスイスだって、若者は徴兵されるし。
 私いちおう金融業(?)の端くれだったりするので、そこらへんの思想は何となく理解できる。
 「見せる防犯」っていう考え方がありましてね。金融機関は常日頃強盗に狙われる危険にさらされているわけですよ。防犯の手始めに、防犯ベルを設置する。防犯ポスターを貼り、「警戒」なんて書かれた腕章をつける。お客様の目に触れるところにカラーボールを設置する。必要に応じて、警戒員を立たせる。
 強盗しようとしてるそこのお前、こっちにはそれなりの用意があるぞ、というわけだ。
 そういうのって、悲しい話ではあるよね。
 いつか、相手を殴る準備をすることなく「戦争反対」を唱えられる日が来れば、それはすばらしいことだと思うけど、そんな日が来るめどは当分立ちそうにないなぁ。
 夢なのかな、しょせん。でも、誰も夢を語らない世界って嫌だよね。
 
 あのさぁ唐突に疑問なんですけど。「イラクの人たち」が「アメリカの人たち」に何かしたんですか? ましてや、「アメリカの大統領とその一味」に何かしたんですかね?
 逆に、「アメリカの人たち」が「イラクの人たち」や「イラクの大統領とその一味」に何かしたんですか?
 しないでしょ?
 しょせん第三者的発言しかできない立場にあるってことを承知の上で言うけど、そういうのって、八つ当たりとか逆恨みとか言わない?
 そういう、「ドコドコ人」「ナニナニ民族」っていう枠の中に、誰ひとり同じ人のいない「個人」をむりやり押し込めるような、そういう発想をやめない限り、人死にはなくならないんだよ。
 
 私怨なら、トイメンでやれよなー。だって、ここまで来れば、要するにもう、ふたりの大統領の意地の張り合い奪い合いだろ? そんなの、税金でまかなわれてる国庫はたいて、自分のものじゃない命を駒にしてやるなよ。いつだって犠牲になるのは関係ない人たちで、そんでもって、そういう人たちがいくら犠牲になったって、その国のトップはどうせ痛くも痒くも感じないような精神構造してるんだから。
 いくら戦争したって、無意味だよ。
 暴力では何ひとつ解決しないとか、人間なのだから話せばきっと通じるとか、そういうことを真顔で言いきれるほど私もさすがに青くないです(苦笑)。実際、暴力──あるいは喧嘩──で何か道が開けることもあるだろうし、何年話し合ったって分かり合えない相手も中にはいると思う。
 でも、拳ってものは、顔が見えてる相手に、こっちの顔もさらしながら振りかざすのが最低限の作法だと思うぞ。殴る方も、殴られる方も、ダイレクトに痛いんだ。その当たり前のことをかみしめながら、それでもやむを得ず、ほんとうにやむを得ず振りかざすものなんだよ。
 少なくとも、私はそう思う。
 
 ああもう、こんなこと寝言で二度と喚きたくないけど、再三言わせてもらいます。
 「戦争反対。人殺し、反対!」