「WHY?」

 昨日、北方見聞録を書き進めていた最中に、今回の大事件が飛び込んできた。
 「ハイジャックされた飛行機がニューヨークの貿易センタービルに衝突。ビルは崩壊。死傷者は1000人を越える。」
 今現在、被害者の数は更に膨れ上がっているらしい。
 亡くなった方のご冥福を、負傷した方のご無事を、行方不明の方の一刻も早い生存確認を祈る。
 
 現地の路上に、たくさんのメッセージが書き付けられている映像が映った。
 テロはいけないと訴える赤裸々な言葉、言葉、言葉。
 中で、ひときわクローズアップされていたのが、「WHY?」というきわめて素朴な疑問だった。
 ……本当に、何故こんなことが。
 
 この事件のバックに、湾岸戦争があると報道されている。
 私にとって湾岸戦争は、リアルタイムで見て多少なりとも自分(の国)に関わりのあった初めての戦争だ。だが、関わりがあるとは言え、マスコミを通じてしか繋がりはなかった。どこか他人事だった。
 だから私は戦争を知らない。
 それでも、なのか、それだからこそ、なのか、私は戦争に強く反対する。戦争は行ってはいけない。戦争をはじめ、今回のようなテロを含むすべての「実力行使」に決して頷かない。許してはならないと思う。
 
 放火が罪深いのは、無差別であるからだ。戦争やテロの罪深さのひとつの理由もまた、ここにある。
 片っ端から徴兵され、敵に向かって突撃することを強いられる。上空から爆弾が落とされ、多くの人々が爆発に巻き込まれる。ある日突然街が乗っ取られ、住民は脅され、日常生活が滅茶苦茶にされる。飛行機がハイジャックされ、ビルに突っ込み、乗客が巻き添えを食らう。そのようにして亡くなってゆく人々の家族、友人、恋人の悲しみと憤り……
 
 だが、中には、無差別でない武力行使というものも存在する。市民は巻き添えにしない。争う意志のあるものだけが戦場で出会い、戦場で片をつける。そういった武力行使は、放火と同じ罪はない。無差別でないから。
 
 でも、私はやはり武力による紛争を許すことはできない。
 理由は、それらの行動が、「差異を認めない」行動に他ならないからだ。
 民族の違い、思想の違い、信仰する神の違い、肌の色の違い、立場の違い……。それらがぶつかり対立した時に、争いが起こる。
 差異があるから争いが起こるのではない。「差異をなくすためには人の血が流れることもやむなし」という考え方が問題なんだ。
 我々と違うやつらがいる。目障りだ。だから消してしまおう。
 ──簡単なやり方だ。だが、人間としての尊厳にあまりに欠ける。
 科学力という凶器を持ち、思想というメッキを塗りたくっている分、獣より数段質が悪い。
 互いの差異を、一滴の血も流さずに、対話のみでもって解決してしまうことができるということが、人間の(数少ないかもしれない)美点のひとつなのに。言葉という道具があって、それを理性的に扱う頭脳も持ち合わせているのに。
 
 今回のような事件が、二度と起こらないことを願う。
 また、この事件をきっかけにして、より大規模で深刻な戦争が勃発しないことを切に願う。
 
(以上、9月12日記す)
 
==========================
 
 更に一晩明け、犠牲者はますます増え、犯人グループはほぼ特定されたとのこと。
 私の職場でも、「アメリカ・カナダあての航空郵便物およびEMS、国際送金は全面的に引き受けを停止する」「全世界あての物品を内包する郵便物は、内容を確かめ、確認できない場合は引き受けてはならない」などという内容のファックスが入った。
 お客さまが来て、ハワイに郵便物を送りたいのだという。郵便物の雰囲気からして、友人か家族か、どちらにしても身近な存在の人に宛てたものだろうと思われた。しかし、上のようなファックスが入ったため、引き受けはお断りせざるを得ない。しかも、この緊急措置がいつ解除になるか、全く見当がつかない。
 テロリズムっていうのは、現場に居合わせて怪我をした人々以外にも、こんな風にして無差別に人を巻き込むものなのだ。あらためて憤慨。
 
 このテロの根本の部分を掘り下げるなら、悪いのはどちらかという、善悪二元論に事態を押し込めるのは安易かつ危険なんだろう。
 テロをしてまで遂げたい思いというのは、尋常ではない強さのものだと察する。それが、実際にテロという形で行われてしまった以上、断固として罰されるべきだと思うけれども。
 テロはいけない。無差別だから。差異を認めない行動だから。実行犯はなんとしてでも償わなければならない。
 そうでありながら、それとは何ら矛盾せずに、「テロがこうして現実に行われてしまうような」国際関係をもまた、改善していく必要なあるのではないかなあ?
 
 「これだからアラブ人は」「これだからアメリカ人は」という類の罵り合いだけは、本当に避けて欲しい。
 人間の差異から目を逸らしてはならない。それと同時に、人間をある集団に押し込めて、その中の人々を十把一絡げのように見ることも、同じぐらいあってはならないことだ。
 「これだから○○人は」──これが出てくると、戦争になってしまう。
 テロの実行犯を突き止めて報復する。それで一件落着、ではない。
 それから先が大事なのだ。
 ……と、思うなぁ。(戦争経験もないし、民族紛争にも関わってない人間のいうことだから、所詮は青臭い理想論かな? でも、理想すら無くしちゃったら、人間終わりだと思うのよね)
 
 アメリカの市民に行った世論調査の結果。
 半数以上が「テロ行為は許しがたいし、報復しなければならない。だが、それはテロ実行犯にターゲットを絞るべきであり、国同士の争いに発展するのは望ましくない」というようなことを考えているらしい。
 ──本当は、みんな、分かっているのだ。大事なことが何であるのか。
 
(以上、9月13日記す)