※タイトル決定:「普通の人」→「花畑」
遠い国の人の間に生まれて
存在すら初耳な言葉を話して
僕らと違うルールで食事するあの子が
石を投げられたら迷わず怒れるかな
美しい国の普通の人だったら
きっとそうするはずのことだから
君を笑うための言葉を磨くより
君と道草食いながら笑い合おう
どうせ鵜呑みにするならそんな理想論
信じ抜いて石をも穿て
鹿でも馬でも何だってよくて
状況証拠になる画だけを欲しがって
あの街の空に溶け込んだ月の塔もドームも
千年続く祭りさえ知らずに叫んでる
うずくまり膝を抱える背中に
15円50銭の石を投げる人だかり
君が輪の真ん中で目隠しされるなら
君と一緒に迷わず鬼になろう
取り囲む籠より籠の中の鳥こそが自由
扉なんか蹴破って開け 開け 開け
後ろの正面から石を投げられないように
目ざとく先に投げつけるゲーム
街には傷だらけのシュプレヒコール
その色の旗は振りたくないから
今こそ君のほうへ手を伸ばすよ
移り気なくじのお告げみたいなトレンドに
15円50銭で飛びついたりするもんか
花畑に水をやりに行こうよ
踏み荒らされても何度も 何度でも
何の芽が出るかもわからないけど
驚きながら全部育てていこうよ
そしていつか花が咲いて散って
君の国まで種が飛んで行く日を
信じ抜いて石をも穿て
僕らは幾千の雨垂れ
僕らの約束の花畑
※ここから下が「附」です。要するに日記です。日付は2026年5月18日。
久しぶりに怒りから生まれた歌詞です。
特に「鹿でも馬でも何だってよくて~」の一節に渾身の悪態を詰め込んでしまった。「あの街の空に溶け込んだ月の塔~知らずに叫んでる」の部分にも実は明確に元となる出来事があるんだけど、もしかしたらローカル度の高いニュースだったのかも……? このニュースも例の鹿さんの話題同様、去年の7月頃の出来事でした。ものすごく象徴的と思えたので、魚拓にリンクを↓
https://megalodon.jp/2025-0916-2021-32/https://rkb.jp:443/contents/202509/197632/
こんなものを書いておいてなんですが、私は連帯というものがあまり得意ではありません。何色の旗であっても「みんなで一緒にパタパタ振る」ことに対してどうも警戒してしまう。
……なんて言いつつ、高校時代には神宮球場に通ってメガホン叩いてビニール傘を振ってたこともある、いにしえのツバメ党の私です。根源的にはああいうの、好きなんでしょうね。多分人一倍〝アガっちゃう〟のだと思います。だからこの警戒は本当は、自分に対する警戒なのかも。
連帯することが無意味だとは全く思いません。ひとりひとりの力でできることなんてひどく少ない。今こうやって私が言いたい放題に歌を作ろうとしていて、いつか出来上がって発表してもしょっ引かれたりしない(……多分、まだ大丈夫、きっと)のも、過去に多くの人たちが連帯して闘ってくれたからです。そのおこぼれに預かりながら、そういう活動を笑う側の人間にだけはなりたくない。
こういう話も、戦争反対も、わが国ではあまりにもタブー視されすぎてきた、というのはあると思う。SNSなんかでうっかり呟こうもんならそそくさとフォロー外されたりします。「そういう活動にあんまり首突っ込むと就職や進学に影響出るよ」なんてクソリプご親切な忠告をもらってしまった人の話も聞きます。そういうのはおかしい、とシンプルに思う。もっと当たり前に、もっと気軽にこういう話ができてしかるべきだと。
でも、一方で、こうも思うんです。「みんなが言っているから気軽に戦争反対/差別反対を言う」人って、きっと「贅沢は敵だ八紘一宇だとみんなが言っていたら自分も気軽にそう言う」人なんじゃないかと。気軽であることは無責任であることとは違う、というか、違わなければならない。
抑圧してくるような空気はぶち破っていこうよ、ということと、ノーリスクで発言することはできないよ、という話は、両方成立する。
平時を保つために、今のうちに発言して行動しなきゃならない。でも、いざ平時でなくなったら掌返して大勢におもねるのだとしたら、それは在り方としてちょっと恥ずかしい。とは言っても、今発言したり行動したりする人は皆小林多喜二になる覚悟を持て、それができないならば黙っていろ、という論はあまりにも暴力的だと思う。あんなことを繰り返さないためにこそ、私たちは黙らずに、うるさくしていかなければいけないんじゃないのか?
……と、例によって例のごとく、ひとりで勝手に堂々巡りしているわけです(この堂々巡り癖のせいで、去年の7月の話題が今頃になってやっと歌詞の形をとれたわけだね!)