オリンピック観戦中

 スポーツは自分がやるのはてんでダメですが、見るのは結構好きです。アテネの時は時差と戦いながら夜中まで見てたもんでした。今回は北京なので、時差があんまりないので楽でいいですねー(笑)

 そんな極め付きの運動オンチな私でも、持久走だけは昔から(比較的)得意でして、それなので、数あるスポーツの中で一番観戦するのが好きなのはマラソンだったりします。日本女子、速いしね〜。
 だから野口選手の五輪連覇!!を私もかなり楽しみにしてたのは確かなんですが、でもさあ、ちょっとほっといてやんなよと思わずにいられない数々の報道でしたね…(-_-;
 一番無念なのは間違いなく本人なんだし、赤の他人がしてあげられるのは“あたたかい沈黙”(By 篠原美也子)だけだと思うなあ。ってテレビもそこをほじくり返すのが仕事なんだからしょうがないわけなんですけど。

 ヤワラちゃんの銅メダルは私的にはよくやったと思います。ただ、試合結果とはまったく別の部分で、自分に対してちょいと悔しい。
 彼女、全日本選抜で負けて、それでも実績で選ばれたでしょう。私、きっとヤワラちゃんはこの代表入りの過程を悔しく思っていて、それを払拭するために絶対金取るぞ!って息巻いてるんだろうなあとか思ってたんですよ。だからきっとやってくれるだろう(わくわく)とか思ってたんですよ。浅はかなことに。
 でも実際は、あの代表入りが決まった時に「終わったと思ったのに選ばれちゃった。私はいつまでやったらいいんですかね」と言ってたらしいですね。なんだかすごく刺さりました。
 仮にも心理描写メインの小説の書き手として、彼女の心の揺れを想像できなかったのが悔しかったわけなのです。勝手な言い分だな(;^_^A
 銅メダル獲得のインタビューの中で、今後の動向について訊かれていた谷選手、「自分だけで決められる問題じゃない」とひたすら曖昧に答えをぼかしてましたね。独身じゃなくなって、子供もできて、彼女が一番変わった部分なんじゃないかなあ。やりたいという自分の気持ちだけで柔道が続けられるわけじゃない。それは今までも多分同じだったんだけど、家庭持つと何かにつけ主語が「私」じゃなくて「家族」になるから。
 関係者や応援していたファンにも何度となく言ってましたが、皆さんのおかげです、っていう言葉は、きっと今まで以上に心からのものだったんだろうと思います。

 北島選手の涙もちょっと違う意味で刺さりました。「泳ぐのは俺だ」Tシャツ着てさりげなく水着騒動に抗議してみたり、いつでもけろっと「金メダル獲ります」って言ってその通りに優勝しちゃう不敵さが印象的であり、魅力でもあったけど、彼も長いこと続いた成績不振で、泳ぐことに対する主語が「俺」から「みんな」とかに変わったりしたのかな。
 絶好調だったアテネ。彼の泳ぐ動機は常に、自分が泳ぎたいから、だったんだろう。大会に出れば必ず勝つ彼に、泳ぐななんて言う人はまずいないわけで。
 その後に続いたスランプで、多分それまでだって決して分かってなかったわけではないだろうけど実感として薄かったのかもしれない、自分の力だけでやれてるのではない、ってことに思い至ったのかな。これもまた勝手な憶測ですが(笑)
 金メダル確定の瞬間に頭の中をめぐった顔や声は、きっとアテネの時より多かったんでしょう。幸せな涙を流せて、よかったね。

 代表入り叶わなかったマラソンの高橋選手の時も思ったけど、底を見た人は、それゆえに弱さと強さを同時に抱えることになる。自分ひとりじゃない、っていう実感は、心強さと表裏一体の心苦しさを与えるものだと思います。
 だから、「みなさんのおかげです」っていう言葉は、他の人が聞くととっても陳腐に聞こえるけど、本人にとってはこの上もない真実なんじゃないかなと思うわけなのです。