夢を見るひと(『夏の果て』セルフライナーノーツのようなもの)

 先日『夏の果て』を公開してから、ぼちぼちといろんな人に聴いていただいてます。
 なかでもニコニコ動画にアップした“鏡音レンver”…やっぱVOCALOIDのネームバリューってすごいですね。

 (自分でレンに歌わせた版)

 (うまい人に添削してもらった版)

 1週間ちょいで1000再生ですよ…!
 これ、ニコニコ動画(の、特にVOCALOID界隈)的には、俗に言う“埋もれ動画”ってやつですけど、いや、充分です。
 たとえば【NEXTMUSIC】あたりで、ボーカル私で公開したやつなんかは、確かまだ30回ぐらいですもんねー。まあ、ニコニコの場合、動画ページを表示すればその時点で再生回数にカウントされるっていう噂なんで、フルコーラス聴いてもらえた回数はたぶん1000回行ってないと思いますけど、きっと30回よりは多いんじゃないかなあ。
 そもそも、流行らないオリジナル小説サイト運営してる人間の感覚から言えば、たとえ30回でもありがたいことです。
 どうせやるなら、聴いてくれる人は少ないよりは多いほうがいいけど、上を目指すっていうことと現状の自分を好きでいるってことをうまく両立していかないと不幸せだよな、と思うのであります。

 
 ニコニコ動画の楽しみに、視聴者が好きにコメントつけて、それを誰もが見られる、っていうのがあるんですけど、今回この『夏の果て』に興味深いコメントをいただきました。
 「球児って言うならもっと希望持って試合してほしい」っていう趣旨のコメントだったんですが。
 それを見て、一度は完成と思ったこの歌の歌詞について、改めて考えてみたんです。と言っても、もう直すつもりは無いですけど、『夏の果て』っていう歌について今まで自分でも分かってなかった部分が、ちょっと見えたような気が。

 
 私の出身校の野球部は、地方予選で3回戦ぐらいまで行けば大健闘、というぐらいのチームでした。
 当時はそんなに一生懸命応援してなかったんですけど、ああもっと試合とか通い詰めてればよかったなあ、と今更になって思ってます。
 たった一校、優勝するチームを除いて、他すべてのチームは結局負けてしまう。
 勝利の女神は頑張った人にしか微笑んでくれない。でも、頑張ったからといって微笑んでもらえるとも限らない。なんとも気まぐれで残酷な女神様です。

 どのチームも当然、精一杯頑張ってると思います。
 きっと、その頑張りを、私とかが外から見て比べることなんてできない。
 でも、その結果には必ず差が生まれてきます。確実にそこにあるだろうことはわかっているのに、いまいち形のはっきりしない“理由”によって。
 うちの母校の選手たちにとって、甲子園に行くとかそこで優勝するとかいうことは、どれぐらい現実味のある“目標”だったのか、私には知るすべがありません。
 でも、これをたとえば自分の音楽活動とかに置き換えてみると、考え込んでしまうものがあります。
 ニコニコであっという間の殿堂入り、とか、確かに「ムリ」と言い切る気はないけど、じゃあ手の届く目標か、と訊かれると、それは否というしかないわけです。
 ニコニコ以外でも私音楽やってるし、小説なんかも書いてる(あえて現在形で言おう/笑)けど、どれもこれもどうも売れ線街道をひた走ったことがない。
 夢を見る、ということと、目標を持つ、ということの間には、切ない温度差がある気がして。

 高校球児にこれが当てはまるかどうかはわかりません。
 でも、見上げる空が高ければ高いほど、「飛びたい」と口にするのは勇気がいるもんです。いやいやそりゃ夢物語だろ、って、自分の中の分別がツッコミを入れてしまう瞬間があって。
 大好きな篠原美也子さんの『limit』っていう歌に、「もしも願いが叶うならお願いです / 世界一の身の程知らずになりたい」っていう一節があります。
 それはきっと叶わない夢、なのだろう。
 でも、見ずにはいられない。だからこそ夢中で頑張るし、だからこそ辛い。
 諦めてしまえれば悔しくもない。けれど、まるきり諦めてしまうにはそれを好きすぎるから、叶わなかった時の涙とセットで夢を抱き続けちゃうのかな。

 ……と、当事者でもない私が勝手に思い込んで勝手に感情移入しちゃった結果が、あの歌詞なのでした(;^_^A
 だから、『夏の果て』は二回戦ボーイに寄せた歌であるのと同時に、流行らないけど「好きだ」というそれだけの理由で創作してる、自分含めた数知れぬ無名のアマチュアクリエイターに向けたものでもあるのかもしれないな、と。
 うーん、痛いっすね(;^_^A

 でも、音楽でコラボしていると、時々思うんです。
 自分が精魂こめて作った曲が、思うような結果を残せなかったときに、それまでの自分の努力を上手に肯定してあげられる人ばかりじゃないですよね。評価軸はどうしたって目に見える数字になるから、やっぱり少ないよりは多いほうがいい。真面目に上を目指せば目指すほど、自分を好きになることが下手になってくように見えます。
 けれど、試合に負けても、夏がそこで終わっても、明日はやって来る。
 幸か不幸か、試合に負けたぐらいじゃ、時は止まってくれない。「次こそは」と思ったとしても、「どうせまた次も」って思ったとしても、まるで何も無かったように明日はやって来てしまう。
 でも、その痛みこそが永遠なんだと思うんです。
 好きだ、という感情は、涙を引き連れてくる。ものすごく好きなことであればあるほど、そのせいでものすごく悲しい思いをするリスクも一緒についてくる。そんなもんだと腹をくくるしかないんですよね。

 私は幸い、根が能天気なので得してると思いますが…(;^_^A

コメント

  1. さくらいみなとが噂するの?