【振りサイト再録】備忘録

ええと、今、また頼まれもしてないのに三橋のこれからについてやたらと濃ゆ~い考察繰り広げてる最中なのですが(;^_^A 今ふっと思ったことを忘れないために書きつけときます。

三橋は、たぶん、物事の優先順位をかなりきっちり決めてますよね。
三橋廉という人間が存在し続けるために、いろいろな要素が絡み合ってるけど、それらの中で何が一番重要で、何が一番どうでもいいか。そういうのが、三橋の中ですごく明確に序列化されてるような気がするんです。
おそらく、小さなころから、いろいろと寂しかったり不自由だったりした中で、最低限、自分の心を死なさないために、会得した生き方。
三橋の中のツートップは「投げたい」「みんなの仲間に入りたい」であるというのは間違いないとして。
たぶん、いちばん“どうでもよかった”のは、プライドだったんじゃないだろうか。
「土下座なんてカッコワルイ」「人前でベソベソ泣きたくない」「縮こまって震えてる姿なんて見られたくない」「ひとりぼっちでいたらみっともない」などなどなど、(少なくとも私は)ふつうに抱く感覚。
そういうのは、三橋にとっておそらくもっともどうでもよかった、か、どうでもよくはないにしても、ものすごく優先順位が低いのでまっさきに切ってしまった部分なんじゃないのかな。
自分が、自分であるために。
投げ続けることだけ選んだなら、もっと高慢な感じのヤナヤツ(でありつつ、実はそれは『ヤサシイワタシ』の弥恵みたいに自分を守るための高い高い塀だったり)になってたかもしれないし、みんなの仲間に入ることだけ選んでいたなら、きっと心のどっかで野球に未練を感じながらも、もっとふつうの性格になってたかもしれない。
未練なんて抱きたくなかったから投げ続け、それがどんなひどい行為であるか、仲間をどんなに裏切る行為であるかも知っていたから、自分を責めた。ビクビクしちゃってみっともない(私だったら、そういう態度を人前でさらすのは絶対イヤだし、隣にいる人がそういう姿をさらしてたら直視できないなぁ、きっと)、なんてのは、ものすごくちっぽけなことだったんだと思う。
あんな性格になる前に、ふつうは、もっと別の手だてを講じるはずだと思うんです。
それをしなかったのは、ひとえに、三橋の我の強さだと思うんですよね…
三橋の置かれた環境(特に中学時代)は、確かにものすごく過酷だったけれども、三橋はあそこから逃げることを選ばなかった、もしくは、あそこに居座り続けることを選んだわけであり。
あのオドオドが中学時代に形成された性格であるならば、三橋は自ら選んであの性格になったってことだよなぁ。
投げたいという、レゾンデートルのレベルでの欲求と、仲間に入りたいという、ギシギシ荘以来の切実な願いと。それを、願わくは両方かなえようとしたために。

……や、だからナニってきかれても困るんですけどね(;^_^A
三橋は強いよな、図太いよな(でもそこがいいんだな)というオハナシ、でした。