【振りサイト再録】三橋の成長プロジェクトについてイロイロ予想する会・1

……と、銘打ちまして、いったい私が何書きたいかといいますと。
ここまでの、桐青戦終了およびその翌日、までの流れをふまえた現在の時点で、これから先三橋には作中でどんなミッションが待ち構えていて、それをどういうふうに乗り越えて、最終的にどんな青年へと成長してゆきそうなのかを、勝手気ままに予想してみようというわけなのでございます。
ええ、再三下のほうでも言ってますように、「櫻井だったらこの先の展開こうする」妄想たっぷりきかせて;

な、何年後に、ここに書いた内容すべてがウソになる日がやってくるんだろう…(ドキドキ)

これからのこと、を予想する前に、これまでのこと、について私の基本的な解釈を明らかにしときたいと思いますです。

1. 三橋の引っ込み思案は、両親カケオチと関係が深い。
 →それだけではないのかもしれませんが、少なくともカケオチってことは、両家親族のうちの誰かしらはこのカップルのことを認めていないわけでしょう。幼少三橋がそんな雰囲気をひしひしと感じながら育っていったのだとしたら…。
 あと、ありえるのは両親が必死すぎたのかもしれないということ。この世のすべてを敵に回しても私たちはこの子の味方、なんていう意気込みをも、三橋は感じ取っていたかもしれず。それって、イコール、お父さんとお母さん以外は怖い人かもしれない、っていう恐怖に結びつきやすいと思うんです。

2. 三橋は、もともと“投球中毒”だったわけではなかった。
 →生まれつきの性格って、私、ほとんど存在しないと思ってるんですよね。今の三橋の、かなり大きな部分を構成してるのは、投手というポジションに対する執着なのでしょうが、それはやっぱり、自動的にそうなったわけではなくて、何か外的要因があってそうなったんだろうなと。
 で、幼少期(ギシギシ荘時代)の三橋の様子をかいま見るに、投げるということに対してあそこまでの執着を抱くべきいきさつが見当たらないんですよね。
 あそこでのミハシは、ハマちゃんたちお兄ちゃんお姉ちゃんに遊んでもらって、野球ができて楽しいな、ぐらいのもので、それが別に投手じゃなくても、球拾いでも全然かまわなかったように見えるんです。

3. ギシギシ荘から大きな家に引っ越したことが、三橋の“投球中毒”の始まりだった。
 →…のではないかな、と思うんですよ。
 新しい学校に友達ができない。ギシギシ荘メイツに会いにいったけど、会えなかった。連絡すらつけられない。彼はこの年にして、“思い出の中に生きる”しか道がなかったのではないかなと。
 また、なんにもなくなってしまった自分が、投げることまで手放してしまったら、それはもうレゾンデートルの崩壊だろうし。べつに“投げる人”でなければいけなかったわけでもないのかもしれないけど、まぁひとりで野球やるとしたら的当てぐらいしかないだろうし、ハマちゃんに憧れてたのかもしれないですね。
 ちなみに、新しい環境で一歩を踏み出せない理由は、項目1に書いたとおり。

4. 中学時代で、“マウンドに対する執着”が付け加わった。
 →投球中毒だったからって、イコール、マウンドにあそこまでこだわるということには必ずしもならないと思うんですよね。投げられれば何でもいいというだけなら、あのチームでマウンドにしがみつき続けるにはあまりにも動機が弱いと思うんです。だって、“投げられればそれでいい”んだから。あんな思いまでする必要はなかったはずじゃないですか。
 入部して三橋が最初に思っていたのは、「これでまた、ギシギシ荘のときみたいに楽しく野球ができるかもしれない」ということだけだったように思います。そして、投げる場所まで与えてもらえて、それがヒイキであることにも気づかずに、純粋に喜んだのではないかと。
 で、現実は見てのとおりで、雰囲気最悪になって居場所がほんとうにマウンドしかなくなって。それでも投げ続けたのは、おもに項目3あたりが原因だと思います。

 ……ああ、でも、項目2のほうをむしろ私は注目したいなぁ。ギシギシ荘での野球みたいなのをもう一度やりたくて、彼は部をやめなかった。彼はほんとうに、みんなの仲間に入りたかったんだろうな。そのために、自分が勝ち投手にならなきゃいけないと思い定めてしまったところが、拙いというかいじらしいというか。

以上、西浦野球部に入部するまでの流れをざっとまとめてみたところで、あらためて、問題提起。
「三橋はこれから、どんな壁をどんなふうに乗り越えていくのか?」

(以下、「~イロイロ想像する会・2」に続く…)