言葉

 先日の『金の雫が街に降る』ライナーノーツもどきで、「白鳥マイカさんの『shelter』みたいな曲作りたいと思った」と書いたけれど、それに加えて実はもう一つ狙った曲がありました。
 それというのが、新居昭乃さんの『ガレキの楽園』だったのでした。
 ……原型、とどめてますかね? それともまったくですかね?(;´∀`) 私としては、あの曲の弦楽器と深く響くスネアの音がとても好きで、そこを若干いただいたつもりでした。
 おそらくですが、『shelter』のような乾いたギターと、転調する曲を作りたいという狙いとがそこに混ざり合って、結果としてどちらとも別物の曲になったような気はしています。
 
 まったく意図せずに、いきものがかりの曲とサビのメロディが被ってしまっていたことに後で気づいた、ということもありました。この時はそれなりに動揺したので、ブログにも残っておりますw
 この記事です→【『風に舞う』(rearrange ver.)
 短くまとめれば、聴いたこともない歌と4小節にわたってメロディが同じだった、ということなんですが、他の部分はまったく似ておらず、全体の印象としては「別の曲だな」としか言いようがないです(…ような気がしています)。
 むしろこの曲をアレンジするにあたって、篠原美也子さんの『永遠を見ていた』が頭の中をループしていて、その影響を取り払うのに必死でしたっけ。
 
 私は特に新奇な音楽を志しているわけではないので、“何となく誰かっぽい曲”を作ってしまうことをそれほど忌避したりはしません。自分の作品でもそうですし、他の人の作品でもです。
 たとえば私の『青い鳥』なんかは篠原美也子さんの『ワザリング・ハイツ』と『傷だらけの天使』をかなり意識しましたし、『夏の果て』は同じく篠原さんの『ダイヤモンドダスト』へのオマージュのつもりでいます(あ、加えて、『おおきく振りかぶって』っていう野球マンガへのオマージュも含むw)。
 現在準備中の曲は、いわゆるロキノン系というものを目指しました。気分はアジカンの『リライト』ですw
 ……足元にも及んでないじゃないか、原曲に謝れ、とお叱りを受けそうなのでこのあたりにしておきます(;´∀`)
 
 
 つい先日、メジャーでCDも出している有名ボカロPさんの曲が、あるバンドの曲に酷似しているということが話題になりました。
 アフィリエイトブログで煽り記事が書かれ、そのPの動画もブログもコメント欄が炎上しています。
 こういう様を見ていて思うのは、きっと荒らしている輩は誰一人、当事者と利害関係があるわけでもないし、当事者の今後の有り様を真剣に考えているわけでも、事態がより良い方向へ収束していくことを望んでいるわけでもないんだろうなあ、ということです。騒ぐことが目的で騒いでいるのだろうなという印象。
 動物の生存本能のひとつの現われとして、馬の餌置き場の上に犬が居座って、馬が餌を食べるのを邪魔する、というような事例があるらしいけど、それと同じだなと思います。馬が与えられた餌を残らず平らげたからといって、犬の取り分が減るわけではないのにです。これは動物の例だから本能という一言で納得できるけど、私たちは人間ですからね…。
 人を罵るためにのみ言葉を選んで発する、そんな姿を、果たして他人に誇れるのか。
 
 ちょっと前にはその逆のパターンもあったことが思い出されます。すなわち、メジャーアーティストの曲がボカロPの曲に酷似していたという事例です。
 この時も、プロなのに、絶対に許さない、恥を知れ、死ね、ゴミ、クズ、等々……およそ思いつく限りの悪口雑言が並べ立てられていた一角があったようです。幸いなことに、私の周囲にはそういう言葉は飛び交っていませんでしたが。
 
 なるべく穏やかな推論をしてみると、ネットの動画サイトで音楽探して聞くような層っていうのは、かなり自覚的に「どこにもない音楽」を求めてるんだと思うのです。「既存の音楽はどれも似てると思って」いて、そうではない新境地をネットの音楽に期待しているんだろうなと。でもそんな地平は実際にはあるわけがないんです。
 その期待値のぶんだけ、裏切られた(と感じた)時にやたらと当たりが厳しくなるんだろう、というのは理解できる気がします。だからといって(批判とか分析ではなく)叩くっていう行為の醜さが帳消しになるわけではないですけど。
 プロがボカロPを、であろうが、ボカロPがプロを、であろうが、実はそれほど話は大きく異なるわけではなくて、確かに金銭が動くか動かないかで事情は違ってくるだろうけど、金銭が動く動かないということのみで作り手の立場や感情が180度変わってしまうわけでもないと思います。
 今回のPさんはメジャーでCDを出したこともあるので、完全なるアマチュアとも言い切れない部分があっていっそう叩きの度合いが増しているのでしょう。
 けれど、一度でも自分で作品を作って他人に見せたことのある人なら、「既存の作品に似ていると指摘される」ということがどれほどの恐怖か、想像がつくのではないだろうか。偶然似たにせよ、故意に似せたにせよ、そこに金銭が発生しようがしまいが、作り手は感情のある生身の人間です。どんな汚い言葉を投げつけられても当然な極悪人などとは思わないでほしいと願います。今日の彼は明日の貴方かもしれない。人は誰もそんなに違わないと思います。
 同時に、匿名で叩いている手合いも、きっと普通の人なのでしょう。その時の気分次第では私もうっかりそちら側に傾いてしまうかもしれない。その程度の違いだと思っています。気をつけなければ。そして、できればその人たちにも気づいてほしい。
 
 
 問題の2曲を聴き比べてみましたが、正直なところ偶然っていうのは苦しいぐらい似ていました。それを指摘すること自体を否定する気はありません。
 ですが、物陰から石を投げつけるように気軽に「死ね」などという言葉を叩きつけるのは醜いことだとは思わないのだろうか。「今後のためにも叩いとかないと」という言い分も見ました。恐ろしい発想です。大義名分を掲げれば何をしてもいいと言ってるようなものですよね?
 「パクっていないのならなぜ謝るんだ」と書き込んだ人は、きっと、謝罪の言葉がなければないで今度は「卑怯者」などと罵るのではないのか。
 
 もし本当にパクったのならそれは良くないこと。それを指摘するのは正当なこと。
 けれど、正しいからといって何を言ってもいいというわけではないです。
 思ったことをただ言い放てばいいなどと、言葉はそんな簡単なものじゃない。