螺旋階段を上る少女(『千と千尋の神隠し』レビューもどき)

 「千と千尋の神隠し」を観てきました。
 以下はその感想です。
 これから観たいって方、ネタバレを多分に含むと思われますので、こっから下はお読みにならない方が賢明かも。
 
 
 
 もともと私はかなり宮崎アニメ好きでして、特に「ラピュタ」に萌え親しんでいる身なのであります(が、その割に「豚」や「ぽんぽこ」を観ていない…なんでよ)。
 風景が何だか整然としていないのが好きなんです。自然であれ、町並みであれ、どうにもこうにも規格通りにおさまりきらないみたいな。
 世界の密度が濃くて、箱庭の中から溢れ出してしまいそうな何かが見え隠れする。
 ラピュタの炭坑の町、トトロの森、ナウシカの荒涼とした大地にすらも、そういうものを感じて胸をときめかせておりました。
 …で。
 「千と千尋」のポスターの背景には、ハートわしづかみでしたさ!
 な、何なの、このごちゃごちゃした町は。どこかFF7のウォールマーケットを彷彿とさせる、怪しげな商店街とドハデなお屋敷。
 …これは、ツボだわ!
 それに加えて、職場のラジオから何度も「千と千尋」のテーマソングが流れてきまして、それがまたしみじみと胸に迫るメロディと声なんだわ。櫻井最近めっきり音楽にもろくなってまして、仕事中に何度目頭が熱くなったことか…
 「観たいっ!」と、事あるごとに彼氏に訴え、こうして観に行く運びとなったのでした。
 
 ──ここまでが前振り。
 この話、かなり乱暴に要約すると「ぶすっくれてて無気力で臆病で甘ったれな女の子・千尋が、大切なものを守りたい一心で強くたくましくなる」物語で、この部分だけ取り出してみても、成長物語好きの櫻井の心を揺さぶってくれます。
 クサレ神が河川汚染の象徴だとか、カオナシは「個性が埋没気味で他者とのコミュニケーションがヘタで、でも人に気に入られたくていろいろと機嫌をとって、それが上手くいかないと自分を見失ってぶち切れて暴走する」現代の若者の象徴だとか、いやいやそもそも、あの「湯屋」自体が清濁善悪真偽混然一体の「世間」というやつを示しているんだ、とか、そういう蘊蓄めいたお話も、櫻井的には嫌いじゃないんですが、ここでそれ言っても、ヒョーロンカや映画のパンフの繰り返しになってつまんないので、ちょっと違う路線で攻めてみよう。
 
 …………ハク、超好み~~~~っっ!!!(オイ、いきなりそれかい)
 だって美少年ですよオネーサン。ストレートの髪を肩口で切りそろえた、切れ長ややつり目の、線の細めな男の子。多分人間だったら10歳以上15歳未満? そんぐらいの年頃の少年が一人称「私」なのも超絶ツボヒット!(注:ここで拙作「うつしみ」のフレティを思い出してみましょう/笑)
 …ってーか、真面目な話をすると、彼は自分の真の名を忘れているので、この湯屋から出られないし、精神の自由もうまくきかない状態。その彼が、千尋との心の通い合いで真の名を取り戻す、というイベントも組み込まれているのです。う~ん、そそる。
 最初はぶーたれっぱなしで、階段はしがみついて降りるし、床をぞうきんがけすれば足を滑らせ、風呂を掃除すれば湯船に落っこち、いいとこなかった千尋も、ハクを救うために走る、冒険する! 最後には、豚に変えられちゃった両親も見事に元に戻してもらい、めでたしめでたし、ちゃんちゃん♪
 ──というわけにも行かないこの話。
 両親を元に戻した時点で、現実の世界に戻らなきゃならない千尋、心を通わせたハクや、何やかや暖かい居場所を自分に与えてくれた湯屋に背を向けなければならない。「トンネルを抜けるまで、決して振り向いては行けないよ」…なーんて、まるで黄泉比良坂かオルフェウスの神話みたいですが。
 
 また、これが芸の細かいところだと思うんだけれど、一番最初のほうで千尋がお母さんの手をぎゅっと握って顔をゆがませてトンネルをくぐっていったシーンがありました。
 お父さんとお母さんを元に戻して、トンネルをくぐって元来た道を戻る時に、やっぱり千尋は、お母さんの手をぎゅっと握って、顔をゆがませています。
 ──これ、最初のはぐずり虫。最後のは、きっと切なさ。
 お母さんの手を握ってトンネルをくぐったところから冒険がはじまり、お母さんの手を握ってトンネルをくぐって冒険が終わる、んですが、単なる繰り返しじゃない。ぐるりと一周しただけに見えるけど、実は一周して、少しだけ高い位置に登ったんだと思う。
 少女は、螺旋階段を上って、少しずつ大人に近付いていくのです。
 
 笑える。萌える。切ない。櫻井的にはけっこうお勧めっす。
 前評判はダテではないかも。