もう明日には3月号発売だというのに、ようやっと2月号掲載文の感想です(;^_^A
もうもうもう、たったひとつ要点を抜き出せといわれたら私は迷わずこれを選ぶさ!
「オレが 打たれなければ 勝てる」
……みはしぃぃぃぃ……
記念すべき第1話にて、彼はこんなこと言ってましたっけね。
「オレのせいで 負けて」
「オレのせいで みんな野球 嫌いになっちゃっ……」
「オレのせいで負ける」ってことと、「オレが打たれなければ勝てる」ってことは、たまたま逆方向の言葉をつかってるだけで、まぁ指し示す現象としては同じこと言ってますよね。
エースが打たれない、ということだけが、勝つための条件だってわけじゃないけども(あるいは、エースが打たれることが必ずしも負けにつながるわけでもないけども)、野球っていうゲームは多かれ少なかれそういう要素ありますよね。
「ピッチャー、まかせた!」みたいな。
それでいながら、あくまで野球は団体戦なんだってとこが、またかなり味なハナシなんですけども。
「オレのせいで負け」続けていたときの三橋は、正真正銘、ひとりだったんだと思う。
どのぐらいひとりかって、「オレはひとりだ。不遇だ」と思う発想すらないぐらい、多分ひとりぼっちだったんだろう。
まぁ、実際、彼はひとりにならずにすむ選択をすることもできて、そうするべきだと(少なくとも彼自身が)思っていて、それでいて、ひとりになるような道を選んで3年間、やってきたわけだけども。
客観的に見て、彼が3年間ひとりぼっちだったのは……うーん、自業自得? 因果応報? なんていうんだろ、ようするにそんな感じじゃないですか。
彼は「オレはひとりぼっちだー。かわいそうだー」とかわめける立場になかったですよね。あの部員たちから見れば、あきらかに。
でも、だ。
じゃあ三橋は「ひとりぼっちで寂しいだとか不遇だとか思う資格、オレにはないんだ」なんてな感じの理由でもって、愚痴言ったり弱音吐いたりしないできたのかっていうと、それもちょっと違うのかもしれないなぁと私は思ってるんです。
だいたい、当時の三橋のなかには、「寂しい」っていう感慨がど真ん中にあったのかなぁ?
いや、もちろん三橋が嬉々として一匹狼やってたとかとは思ってないですけども。
なんていうのかな……うん、三橋は「寂しい」って自覚もなかったのかもしれない。私の印象だけど。
自分がひとりじゃない、っていう状態を、想像できない。
マウンドの上でひとりで戦ってるというのが、とてつもなく不遇なことなんだということが、わかってない。
ただ、そうなんだ、と思ってたんだと思う。
オレは、ひとりだ。マウンドからキャッチャー見ても、サインくれない。三振とっても、うまく打ち取っても、ナイピって誰も言ってくれない。打ち込まれてしまったときに、マウンドに集まってドンマイと声をかけてくれる仲間もない。
それらすべてを、「~してくれない」と捉えてはいなかったんだろうと思う。
監督のせいじゃない、畠君は悪くない、という。それは本当に、三橋の本心だったんだろう。
恨みはない。かといって、望んだりする資格はないんだ、とも思ってなかったように見える。
ただ、そうなんだ、そういうものなんだ、と。
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中学時代の三橋にとって、マウンドに登るということはほとんど個人競技だったんじゃないかな。
オレが打たれるか、打たれないか。
結果、チームが負けるか、勝つか。
実際はそれは間違いで、「打たれる=負ける」とか「打たれない=勝つ」とかいう等式は成り立たないんだけども。打たれて例えば4点取られたら、5点取り返せば勝てるんだし、10点取られたら11点取り返せば勝てるわけですよね。試合終了の時点で。
三星の子たちがそんなことをわかってなかったはずはないと思うんだけどね……要するにこれは、「三橋のために点を取ってやる気になれなかった」ってこと、でしょう。
黙ってたってエースは三橋。与えられるままにエースの座にふんぞり返ってても、爪が剥がれるぐらい努力してても、マウンドは常に彼のものだったわけだよね?
それで勝てればまだいいけど、実際は負け続けた。まあ当然でしょう、ついこないだまで小学生だったような1年坊主が、他校のスタメン(当然3年生メインでしょうな)相手に、相当のミラクルでもなきゃ勝てるはずがない。
こうして負け続けてれば、いやでも負けグセがついてしまうというか、「どうせまた負けるんだ」みたいなメンタリティになって、「このチームで勝つためにはどうすればいいか」という方向にチーム全体が動けなくなっちゃったんだろう。
こうなると、人間てのは、“うまくいかない理由”を躍起になって探し出すんですよね、たいがい。んで、その“理由”が三橋だったと。
実際打たれまくったわけだし、それなのに監督は全く三橋をおろす気配がないし、三橋が自分から降りる気配もないし。
だからといって全部三橋のせいだとか、ホントの本気で三星の子たちが思ってたわけじゃないとは思う。けど監督に意見はできない。モノの試しに、ほんの一回だけでも三橋以外の投手を使うとか、そういうこともない。三橋も言われるままにマウンドに登り続ける……
マウンドに立つにふさわしい存在になるために、三橋がどんだけ努力しようとも、その努力ってほとんど評価されなかったんでしょうね。
努力しようがしまいが、最初からマウンドは彼のものだから。
むしろ、「そうまでして投げたいのか」「そんなふうにこれ見よがしに無駄な練習なんかしたって、どうせ勝てないんじゃないか」なんて思われていたんじゃないかな。
そして、ほかの誰よりも、三橋自身が一番思ってたんじゃないだろうか。
「勝てなきゃ何のイミもない」って。
もうたぶん2年にもなれば、打線も守備も彼を後押しはしてくれなくなってるだろうし、その時点で既にサインももらえなくなってたかもしれない。この状況を作ったのは三橋だ、と、チームメイトも思ってただろうけど三橋も人一倍そう思ってて、だからその状況が“当たり前”で、そのうえで負けるのは自分のピッチングが悪いせいだ、と思い定めたんだろうなぁ…。
それでも努力し続けたのは、ひとえに、「みんなに認められたい」からだったんだろうし、「そうすれば心置きなく投げ続けられるから」だったんだろう。
打算的っていうか……いや、三橋が打算するはずはないんだろうけども、これまたずいぶんと自分中心っちゃー、間違いなく自分中心なんだけど、ひとつ言えることは、三橋は何ひとつもあきらめなかったってことだと思う。