【振りサイト再録】続・第26話&第27話を熱く語る会

三橋のあの問題行動ですが、ほんっとーに、いろいろな見解があるようで、余所様のご感想を読ませていただくたびに頭がぐるぐるします。
まだ結論が出ません…

私は徹底的に三橋びいきですが、あればっかりはどう読んだって、三橋がとんでもなさすぎだと思うんです…; だって、今、試合中だぜ? 何がいちばん大事で何が二の次か、分かんないはずないだろ? それこそ、人一倍ピッチャーやってきたんだろ?って。
いえ、ミハシストとしては、あれぐらいで失望したりはいたしませんけど(だいたい、控えピーと控えキャッチ作るのを泣いて嫌がったあたりとかに如実だもん)

でも、ね……。
これ、もうここでの独り言で何度も書いてますけど、三橋って、ようするに“野球”をまともにやったことが今までなかったんだよね。
彼がやってたのは、確かに、野球というチーム競技の中の“ピッチャー”っていういちポジションだけど、でも真の意味でピッチャーだったことって一度もないんだよね、きっと…

捕手がリードくれるだけで感激する。
三振とったら「ナイピッチ」って声かけられることにあんなに驚く。
彼は、ひとりきりで野球やってたんですよね。グラウンドで、相手チーム9人と、味方チームの自分以外の8人を敵に回して、たったひとりで。
投手やってれば、どんなヘロピーだって当然に知ってるはずの、みんなで分かち合う勝利の味、敗北の痛み。マウンドの上で、背中に感じる野手の存在の心強さ。18.44メートル離れて向かい合う捕手との間に交わされる、言い尽くせない信頼感。
そういうのを、三橋は、全然知らない。

そんなことも知らないで、それでどうしてピッチャーなんていう重労働を続けてこれたのか、私はいまだもって確信の持てる答えを見つけられずにいるんですが。
彼は、独りで野球やることに慣れすぎている。
それは、ひどく悲しいことです。彼自身にとっても、彼とチームメイトになりたいと思っている人たちにとっても。
それでも、その悲しい野球を続けてきたから、彼の心は死なずにすんだんでしょうけども。

おそらく両親カケオチの影響もあるでしょう、ひどく引っ込み思案な少年三橋にとって、引っ越した先で新しい友達を見つけるっていうことがどんなに怖くて、勇気のいることか。
自分の存在が歓迎されないかもしれない恐怖って、想像するに余りあります。
小学二年の秋ごろからずっと、野球仲間もできず、お父さんお手製の的に投げ続けた日々だったんでしょう。
集団のなかで自分の立ち位置を確保しつつ自分の我もほどほどに通して、なんていう技術を磨くチャンスもまるでないまま、中学へ入学するわけです。
学校いちの、おぼっちゃまとして。

ルリちゃんとちがって、廉は“おぼっちゃまであること”に慣れていないでしょう。だから、理事長の孫である自分がこんな風に我を通そうとしたらそれが周りにどんな影響を与えるか、なんてこと、想像もできなかったに違いない。
それでなくとも、中学に入学した時点で、廉の人付き合いスキルは小2レベルでしょ?
分からないものは分からないんだから仕方がない。でも、クラスメートやチームメイトは、そうは思ってくれないでしょう。こいつは分かっててわざとやってるんだ、ぐらいには思うんじゃないかな。
あきらかに孤立したまま、ここでも人付き合いスキルを磨くチャンスはなくて、そのまま卒業、西浦へ入学、となるわけです。
周りみんな高校生だけど、彼だけ小2のまんまで。

好きだから投げたい。でも、みんなと“一緒に”野球がしたい。そのために、どうすればいいか分からない。
オレがもっともっとちゃんと投げられるようになれば、そうして試合に勝てれば、みんな負けなくてすむし、オレもピッチャーでいられる。
その一念で、投げ込みを続けてきて。
でも、その意地こそが、彼を不孝にしたのは間違いないんですけども。
けれど一方で、その意地を張ることをやめたらば、たぶんその時点で彼の心は死にますよね。呼吸止めたら死ぬのと同じぐらいの重大さで。

彼はマウンドを譲らないことを自分で選んで、その選んだ道に対して、自分ひとりだけできっちり責任とろうとしてきた。
誰にも頼らず、誰のせいにもせず、ただひたすら投げ続けることによって。
そうして、独りであることが、あまりにも板につきすぎてしまったんだ。
ほんとうなら、9分割なんかよりも何よりも最初に、投手なら必ず身につけているはずのこと──チーム全員に期待され、チーム全員を信頼する、その喜びを、彼は知らない。

そうなんだ。自分を信頼できない人が、ほんとうに人を信頼できるはずがない。
三橋はまだまだチームメイトを信頼してはいないのだなと気づかされてしまいました…。辛いです。
(信じよう、という気持ちがあるのはじゅうぶん分かります。“チーム”になろうとすごく努力してるのも分かります)

毎号のように吐露される、阿部の三橋への惚れ込みモノローグも、巣山くんの「この人は三橋じゃないんだ」のくだりも、今のところ三橋には届いてないんだよね…。
三橋は、彼らが三橋に対して抱いている「うちのエースへの絶対的な信頼」に応えられるだけの気持ちを、まだ抱くことができてない。

これからなんだ、とは思いつつも、根っこの部分はこの子ずっとこのまんまなのかもしれない、とも思えてしまって…。
こういうところが、『おお振り』という物語の容赦のなさなのかなとも思います。
けっして、綺麗なだけではない。簡単に分かり合える気持ちなんてどこにもないんだっていうことを、これでもかというほどに突きつけてくる厳しさというか。

この後も、西浦のみんなは、幾度となくこんなすれ違いを繰り返していくのかもしれないなぁ。
これが、中学3年間マウンドを譲らなかった意固地さなのか!と思い知らされる場面がきっとまたでてくると思う。
西浦での3年間で、彼らと三橋は、どこまで“チーム”になれるのだろうかと、楽しみ半分、不安半分な気持ちです。

……ううう~。まだまとまらない…