『それでもいつか、瓦礫に花が』公開しました&覚書

 本当は、私が大それたことを語る資格などないんだと思います。
 直接被災したわけでもなく、何ひとつ科学の専門知識を学んだわけでもなく、人生経験も知れたもの。東北──もっと直截にいえば、福島──にゆかりのある親戚や友人はいますが、彼らは彼ら、私は私。勝手に代弁者のような顔をするのは僭越以外の何ものでもない。ましてや、自分が被災したかのような口ぶりで語るなど。
 あの被害を、私はしょせんテレビ画面や新聞で見ただけの人間です。あの後、去年4月の「弘前城さくらまつり」に強行したとき、帰り道に仙台空港の周囲を通りかかって絶句しました。私にとってあれはあくまで「旅行先で見た衝撃の光景」。けれどあれが日常という人が大勢いるんです。そういった人々を差し置いて、私に何が語れるのだろう。
 
 「言葉を伝えるということはとてもたやすい。
 でも、言葉で伝えるということは、実はとても難しい。」
 
 シンガーソングライター篠原美也子さんの、2011年8月19日のブログに書かれていたことです。
 だからとりあえず黙っとけばいい、ということではなく、何のために、誰のためにそれを語るのか、を忘れないようにしなければいけないということだと思うのです。
 その言葉で、そのやり方で、本当に相手に届くのか。言葉を口にすれば、どんなに気をつけていても誰かを傷つけてしまうかもしれない。けれど加害の度合は少ないほうが当然いいはずです。自分の正義に酔っていないだろうか。いろいろ考えていたら言うべき言葉を見失った、ということもあると思います。私はありました。けれど、やみくもに放つ言葉よりは意味があったと思いたい。
 情報はとにかく早く広く伝えることにこそ意義がある、かどうかも、時と場合によると私は思ってます。間違えたら訂正すればいい、そうでしょうね、その「訂正」によって、本当に間違った情報が無かったことになるのならば。それはあくまで伝える側の都合です。後から加えられる訂正は確実に伝えるべき相手に伝わるだろうか。デマによって傷ついた心がそれで戻るだろうか。
 言葉を発するということに対して、謙虚でありたいと思います。
 
 
 ・「食べて応援」を否定するために、無関係の若者の死を利用する人
 ・大阪での葬列デモのまとめ
 ・助けることの難しさ~3.11追悼式に向けて
 
 当初、最悪の予測を立てて気持ちを落ちつけていた人たちの一部が、近頃では最悪の状態を待ち焦がれ始めているのでは…とすら、Twitterを眺めていると思えてきます。
 そこに、当たり前の想像力はあるだろうか。優しさはあるだろうか。
 自分がされたらどんな気持ちか。けれど大の大人に求められているのはその先のような気がします。自分の基準でどう感じるかなど誰も訊いてはいない、たとえ自分は平気なことでも、それは嫌だという人が世の中には当然いるはずだ。そんなことを考えていたら何もできないかもしれない。けれど本来、ひとりでないこの世界で何かを表明するというのはそれぐらい重いことなのかもしれないと、最近思っています。
 自分の言葉で発信する人や、自ら行動を起こす人を、基本的に私は尊敬します。けれど、繰り返しになりますが、それは何のための、誰に伝えるための言葉だろうか、行動だろうか。その正義を広く世間に表明したいのなら、理解してもらう努力が必要なはず。思いを届けたい相手がいるのなら、それはプレゼントと同じように相手が喜ぶやり方を探るのでなければ意味が無いはずです。
 届けない勇気も時には必要だと思います。何でもかんでもただ届ければいいというものじゃない。そこにある埋めがたい溝を見つめる勇気。寂しさにへこたれるな。埋められないままでできることがきっとある、あるはずなんだ、という、はかない希望を守るんだ。忘れないこと、祈ること。落ち着いてきてる地域へは旅行でお邪魔もしたいなぁ。
 正義を唱えるということには、臆病なぐらいでちょうどいいんじゃないだろうか。
 
 
 
 今日、9ヶ月あたためていた曲をようやく公開できました。書かずに済ませられるならそのほうがよかった、と正直思います。でも作ってしまったので、どうか聴いていただければと思います。
 そしてこの曲もまた、数ある「当事者から程遠い言葉」のうちのひとつでしょう。せめてもの配慮として、歌詞の中に結論めいたものを書きませんでした。私はきっと正しくない。たぶん誰も正しくない。
 それでも世界は終わらないし、絶望しているうちに勝手に世界がいい方向へ向かってくれるわけではないんですよね。
 

 
『それでもいつか、瓦礫に花が』
 作詞作曲、レン調声、ギター、コーラス:櫻井水都
 ピアノ:1104(ギルド房総)
 イラスト:裏花火
 
 さすがにこの曲を手伝ってもらうにあたって、お二方にはかなり長ったらしい文章をくっつけて送りました。このメッセージに賛成できないのに無理に巻き込むわけには行かないし、炎上の可能性を否定できないのでそれも了承してもらう必要があるような気がして。引き受けていただけて心底ほっとしています。彼女たちの協力なしには作り上げられませんでした。
 ちなみに、裏花火さんが去年の4月2日に描いていたイラスト(漫画)がありまして、ご本人の了承が得られたのでここで紹介させていただきます。この作品に共感した人間のひとりとして、今回一緒に制作できてほんとによかった。
 こちらです→ http://twitpic.com/4frq1w