田島に対する、泉と花井の意識のしかたって、何がどう違ってるんだろう…
なんてことをうんうんと考えていましたよ一人トイレで。(爆)
アフタ読んだ数日後にいきなり感想がぶり返してくるから困ります。職場でぶり返さなくて今回は助かりました。(崎玉戦の田島と花井の時は職場でした…)
思うに、花井の場合は、「現状田島に負けてる」ってことを意識するとこから始めないと一歩前に進めなかったんだろうね。
たぶん小さなころからよくできる子供だったがゆえに、田島に負けてると自覚することを潔しとしないで、でも負けてるってことはホントはよくわかっていて。
だから、競わないようにしようとした。競わなければ、負けが確定しないから。
でも、そのせいで彼は止まっちゃいかけてたんだよね。
その状態を抜け出すために、一度彼は、「田島に負けている」とまっ正面から自覚する必要があって、その上で、あくまで競い続けるんだ、追いつくんだ、願わくは追い越すんだ、というかたちで上を目指し始めた。
で、泉はといえば、「現状田島に負けてる」ってことはもう最初からわかってるし、はっきり自覚もしていると思うんですよ。
花井は自分のことを凡人だと思ってる、と前に長々書いたけど(爆)、泉もきっとそうですよね。
ただ、花井の場合は、凡人であることを認めたくないっていう部分がかなり強いような気がするけど、泉は別にそこまで“凡人である自分”を歯がゆく思っているわけではなく…って、ああ、だからって悔しくないとかそういうことではないと思うけど。うーん…要するに、そうだよなオレ凡人だよな、と、淡々と認めてるっていうか。
田島にかなわない、この点はもう確定。
だから、花井とは違って、田島に負けてるということを自覚するところからは始まってないんだよね。泉の場合。
泉にとって、田島と同じクラスであるってことと同じぐらい、たぶん三橋と同じクラスであるってことも大きなことなのかもしれない。
「オレはどんな球でも打つよ!」と言ってのける四番打者と、「3年間マウンド譲らなかった」と泣きながら言うエース。
オレはどっちにもなれない。オレがフツーなんであって、アイツらふたりともおかしいんだ――なんて。
ふたりを、目指すというのとは違う。このふたりに追いつきたいのかと訊かれると、そうでもないような気がする。
花井が「田島を越えてやりたい」と思うようには、泉は「越えたい」とは思ってないですよね、おそらく。
今の西浦の状況では、田島以上に打てる打者はいないし、三橋以上に経験のあるピッチャーもいない。
けれど、チームメイト全員が思っている。田島は文句ナシで四番だし、三橋は文句ナシでエースだ、と。
彼らは、四番でありたいという意志の強さゆえに四番なのであり、エースでありたいという意志の強さゆえにエースなんですよね。
だから、泉が田島(と、三橋?)を意識するとしたら、そういうところで意識するんじゃないかなぁ。
いくら体格似通ってたって、自分は田島のようにはまず打てない。そんなに泣きべそかいてまで投げ続けようとする根性も到底理解できない。でも、対等に並べないままでは悔しい、と、負けん気がうずうずして。
ならば、自分が目指すべきなのは、瞬間視7秒台マークすることとか、9分割投げられるようになるとかいうことではなくて、もっと意識のレベルで、しがみつくこと、渇望すること、なのではないかなぁと。
アイツらがそうであるように、一番打者であるべくして一番打者でありたい。外野手であるべくして外野手でありたい。
どれだけできたか、よりも大事なのは、どれだけやろうとしたか、ということ。
そういうふうにして、田島と対等な存在になりたいと思ってる……んじゃないかな~。違うかな?
まー、逆に言えば、花井は田島と直接張り合うだけの素材の持ち主なんだよね、って話でもあるんでしょうけどね。
もと四番だし、中学時代もキャプテンだったし。花井の負けん気ってのは、やっぱりそういう土台のうえに成り立ってるものだもんね。
対して、泉の負けん気って、もっと自分の内面に向けられてるものなのかもしれない。
6月号であんなにイライラしてるのも、自分がふがいないぜー!!と言う気持ちの現れなんだろうね。
まっすぐだなぁ。どいつもこいつも。まぶしいなぁ!