いえ、アフタヌーン6月号(第44回)の話なんですけども。
(ちなみに西条モモコというのは、若木未央氏の小説『グラスハート』の主人公である、バンド少女・朱音の母親です。ご職業は音楽ライター)
今月号、三橋のモノローグに「阿部君の言うとおりが オレの一番なんだ」というのがありましたが、みなさんこれ、アレ?と思いませんでした?
最初のころの三橋だと、「阿部君の言うとおりにしなきゃ嫌われちゃう」ということのみだったと思うんですけど、今回のはちょっと違う。
「~しなきゃ」が「~すれば」になったってことは、大きな変化じゃないですかね。
要するに、中学時代の三橋の中では、「投げられるか、投げられないか」という瀬戸際だったわけですよね。
勝つとか、負けるとか、楽しいとか、苦しいとか。そういうことはもう二の次で。投げることができなくなっちゃうかもしれないという危機感と常に向かい合っていた。
一度マウンドを譲ったら、もう二度と立たせてもらえない(と思った)し、マウンド立てなくなったら自分の居場所はここにはない(と思った)に違いないし。
それが、西浦にきて、とくに桐青戦翌日のあの例の回で泉君が見せてくれた、ミーティングのレポートなんかに明らかだけど、三橋は、チームメイトとして普通に受け入れられている。そして、三橋自身少しずつそれを自覚し始めている。
ここにいることを、オレは許されているんだ、って。
すると次は、「投げられるか、投げられないか」という危機感よりも一歩先に進んだ“願望”が頭をもたげてくるわけです。
「より良い状態で投げたい」「より楽しく投げたい」という、まぁ当たり前なんだけど今まで三橋は持ち得なかったんだろうなと思う“願望”が。
今回の「阿部君の言うとおりがオレの一番」は、そういうことなんじゃないかなぁ。
投げられれば何でもいい、っていうのは、いかにも三橋らしい、業の深い、修羅のような、強い意志のあらわれなんだろうけど、そこまで投げるのが好きなら、もっとその投げる環境とか、誰と一緒にやるかとか、そういうところでも願望があって当然なんですよね。
貪欲になる、というか、贅沢になる、というか。
今は、阿部と一緒にやってると勝てるから(今までとは違う、勝つ楽しみが味わえるから)、そして阿部に捕ってもらった時しか勝てたことがないから、「阿部君が一番!」ってなってるんだろうけど、そのうち田島と組む時もあったり、それで勝ったり、阿部と組んで負けたりすることも経験して、そのうえで「やっぱりこの状態で投げるのがオレの一番だ」という貪欲な気持ちで、阿部と組むことができたらいいですよね。
(まー、タジ+ミハ好きの私としては、そのときの相手が田島であってもそれはそれでいいんじゃないかとは思いますが…プロットの美しさとしては、やっぱり阿部と、がいいですよね)
今回のセリフは、そのための第一歩なんじゃないかな~と思った次第なんです。