今脳内でこね回している物語が、ものすごく久々の、なんの既存のシリーズにも属してない単発のファンタジーなんですが……っていうかそもそもストーリーを思いつくこと自体がかなり久しぶりなんですが(;´∀`)
その中で主人公の体重について言及しようと思ったときに、ふと考えてしまったんですね。
そう──そも、この作中の世界において、身体の重さについて考えを致すという習慣があるのか否か、ということを…w
身長なら、計測する必然性があると思うんです。服を作るにしても作ってもらうにしても買うにしても、身体の長さ(全身であったり各部位であったり)っていうのは絶対に必要な情報じゃないですか。でも、体重って、どうなんだろう?
今日のこの私たちの世界において、体重を計測する意味付けっていうのは、おもに健康状態の把握のためかなと思うんですが、ざっくりとネットで調べたところ、その昔はムガール朝の君主の体重が毎年計測されて国民に公開されていたなんてことがあったようです(by からだをはかることの歴史と変遷 – 【企業サイト】健康のつくりかた詳細|商品・サービス(法人)|タニタ TANITA)。
当時は今と違って、体重は多ければ多いほど飢えに苦しまない=富の象徴、ということだったみたいですね。実はけっこう近年までそうだったんじゃないかなあ。昭和の半ばぐらいまで? 今の若い方々には信じられないかもしれないけど、ほんの何十年か前には“高カロリーの健康的な食品”なんていう概念があったんですよ…(や、私自身もその世代ではない…はず……だと思いますけどw)
現代ではむしろカロリーは摂りすぎないほうが健康的だとされてるし、体重が年々増えてたりなんかしたらメタボ検診に引っかかりますよね(;´∀`) だからといって年々減るってのもそれはそれで個別問診の対象になる場合があって……まあとにかく、私たちが健康に生きていくための重要な指針のひとつとして、体重を量るっていう行為があるわけです。
身体の重さというものを、今みたいなちゃんとした秤で計測することなく物理的に実感することがあるとしたら、それはたとえば子供を抱いた時とか年老いた親や祖父母をおぶった時とか、要するに自分の体重についてではないような気がするんです。去年より今年のほうがわが子が大きくなってることを喜んだり、じいちゃん去年よりもずいぶんちっちゃくなっちゃったなあと切なくなったり。
自分については、たとえば去年入ってた服が入らなくなったとかいう場合に、自分の身体が「横に大きく」なったことを実感するかもしれないけど、それはあくまで「大きさ・太さ」についてであって、「重さ」に対する実感には直接つながらないわけですよね。腹回りがきつくなったなあ→体重増えたのかなあ→量ってみよう、っていう連想が成立するのは、既に私たちの生きるこの社会の中で、太ることと体重が増えるっていうことが相関関係にあるんだと共通理解として浸透してるからであって。
ちなみに君主じゃなくても、体重を計測するっていう行為自体は、中世の頃には行われてたみたいですね(by 医療の歴史(14)物理学との融合~サントリオ – 医療あれこれ)。このページおもしろい。この場合の体重測定は健康状態のバロメータとしてではなくて、純然たる物理学のための実験だったわけですね。こういう話ワクワクします。実験大好き2号で~す(残響のテロルのツエルブの口調でどぞ)
……閑話休題w
まあつまり、現在みたいな意味合いで体重というものが捉えられ、健康増進のために広く一般に計測されるようになったのは、かなり新しい話だ、ということですね。
すると、今こね回してる物語の舞台──中世と近代の境目辺りのヨーロッパっぽい架空世界──では、一般市民が何かにつけ体重を量る、あるいは量ることはしないまでも体重の増減を意識するなんてことは行われてないと考えるのが妥当っぽいです。うむう…
かいつまんで説明すると、家族を失ってから広い屋敷に一人で住んでいるはたち前後の青年が、ずいぶん長いこと食欲を失っていて、両親がいた頃の彼の体重とさほど変わらないぐらいにまでやつれてしまっていることについて描写しようと思ってたんですね……ハイ、またもや華奢萌え発露してますw
とりあえず引用しちゃえ。なんかここだけ小説の文体で書いちゃってあるんですw
ひとりにならないと、怒鳴ってしまいそうだった。いつの間にか自分に懐き始めているらしいコギは、きっと悲しそうに唇を噛んでうつむくだろう。そんな表情を見たいわけではなかった。それに、ありったけの声で怒鳴ってしまったら、自分の声が頭に響いてまたしばらく行動不能になってしまうだろう。あの夜、コギを思わず呼び止めた時、あの程度の声ですらあの体たらくだったのだ。
明らかに、悪化している、と思う。バゼル(著者註:庭師の名前です)と暮らしていた頃は少しはましだったはずだ。同じ部屋の端からもう片端にいるバゼルを呼ぶぐらいなら、多少肩を跳ね上げてしまうことはあれど、あのようにうずくまって両腕で身体を掻き抱いて震えるなどということはなかったのだ。ひとりきりになり、好きなだけ静寂を貪り、しかし頭の中で記憶は繰り返す。蘇れば蘇るほどに鮮明になっていくのをどうすることもできず、脳裏で飽和するどぎつい色彩と不協和音に、ただ身を任せているしかなかった。
バゼルの、そしてコギの言うとおり、確かに足りないのだろう。それは自分でも分かっている。毎月一度だけ屋敷の外へ出かけていくのだが、その際に全身を襲う疲労感が、以前と比べて相当増している。確かめるすべはないが、おそらく、両親が他界した時と目方がほとんど違わないのではないか。背丈は伸びているにもかかわらず。
目方を量る機会なんて滅多にないんだろうなー、「身長」「体重」っていう語は使わないほうがそれっぽいよなー、ぐらいは最初から考えて書いてみたんですが、どうやら「目方を量る」…もっと言えば「目方の増減について考える」っていう思考様式自体が、この作中では存在しないのではないかという気がしてきました。
どうしましょうねw なんか別の方法でそういう内容を思わせる描写考えなきゃ。三人称視点の語りなんですが、純粋なる神の視点からの三人称じゃなくて、限りなく一人称視点に近い三人称視点なので、その場面の視点キャラクターであるところの登場人物の世界観を超えたものを描くことはできないんですね。台詞や独白にかぎらず、地の文であっても。
こういうの、考え始めちゃうと変に楽しくなっちゃって止まらないんですよw
ここまでこんなダラダラ書いてきたこの文章だって、私は書いてて楽しいしスッキリしたけど、きっと「誰得」な文章なんでしょうね。でもまあいいやw 誰か最後まで読んでくれる酔狂な人がたった一人でもいれば御の字です。
また創作上の盛大な独り言をここに書くかもしれませんけど、まあ気分で読んだり読まなかったりしてみてくださいw
……あ。でも、作品できたら読んでね(はぁと