『金の雫が街に降る』ライナーノーツ的な何か


 
 いっこ前の記事でお知らせした曲の、ライナーノーツ的な何かです。
 長いのでお時間のあるときにでもお読みくだされば。 
 
 
 ずっとここをご覧下さってる方は、ひょっとしたらここの日記でデモを目撃してくださってるかもしれません。
 2010年11月29日の、この記事でした →【弾き語り練習と作りかけの曲を晒してみるテスト
 
 ちなみに歌詞はこちらです →【金の雫が街に降る
 
 
 この歌の歌詞、ブログを遡った限りでは、どうやら去年の10月~11月あたりに書いたようなんですね。
 曲はそれより何ヶ月か前にできてた記憶があります。
 そうなんです、この曲、私史上初めての完全曲先なんです…!(ペカーン
 
 メロディは、近所のスーパーにチャリ飛ばして買い物行ってる時だったかにできましたw
 ええ、夕暮れでした。向こうの空が真っ赤に染まってて、まるで燃えてるみたいだなあ、そこかしこの家の窓にちらほら灯りがともり始めている。燃える空を眺めて灯りのついた窓を思うことができるのは幸せなことだ、これから帰ってくるだろう人を思う気持ちにあふれた部屋も幸せそのものだ……などと感じたわけなんですよ、こっぱずかしいことにw
 向こうの空が赤く染まっていたら、今度はどこの街が燃えているのかと怯える人たちも、この世界にはきっといるんでしょうから。
 
 そんなあれこれを詰め込んだ歌を作りたいなと思いつつ、肝心の歌詞はといえばどうも自分の中でキーワードが散漫になってて、先にメロディだけができました。
 ひょっとしたらあぁ、と思うかもしれませんが、私、白鳥マイカさんの「shelter」って曲が大好きなんですよ。ああいう乾いた感じの曲を作ってみたいとずっと思ってたんです。それと同時に、曲中で転調(大サビ移調ではなく)する曲を作ってみたいとも思っていました。
 かくして、「shelter」知ってる人ならばすぐに分かるほどAメロは件の曲にそっくりで、Bメロから突如転調するメロが出来上がったのでしたw
 
 
 で、それから何ヶ月か遅れて歌詞がようやっとできた時には既に金木犀まっさかりで、いえ街が金木犀の薫りいっぱいだったからこそこの歌詞ができたことは間違いないんですけど、やっぱりプロの作詞家ってすごいよね、と思わざるを得ませんでした。
 去年の夏といえばひどい猛暑…とても秋の歌なんぞ用意できる気分にならなかった…
 そんなわけで、「夕空が赤い」「燃える空を眺めてどこかの戦火を思わずにただ家路を思い描ける幸せ」という二大テーマのうち、後者は限りなく薄まってしまいましたが、代わりに「金木犀の花弁は夏の太陽のなごり」というこっぱすかしいインスピレーションが降ってきたのでそれを統合してなんとか歌詞も完成しました。
 でもこれから仕上げて公開とかいったら冬になっちゃう>< というわけで断念、来年の秋には絶対完成させようと意気込んだのでした。
 メロも歌詞もあるし、おーざっぱなデモも既にある。これで来年の金木犀に間に合わないとか、そんなんありえないでしょ。ねぇ?
 ……ところがその「ありえない」を実現させちゃうのがみなとクオリティ(爆)
 
 
 のらくらとリズムアレンジを進めていると、未だに記憶鮮明な311の大地震。
 幸いにも我が家はほぼ完全に無傷だったので、多少節電に気は配りつつも、ふつうにPC作業はできたはずなんです。
 けれど日々流れてくるニュースにTwitterのタイムライン。私の中で一気に2曲歌詞ができ、メロができ、何とかこれを伝えたいと悶えつつ結局何もできずにいるうちに、気がつけば9月も後半。
 …………あれ? そろそろやばくね??(・∀・)
 突貫工事でストリングスを打ち込み、レンをしばきアコギと歌を録り、今回の共犯者となるTENさんとまめさんにひどいムチャぶりをかまし、一年越しの公開にこぎつけたのでした。
 それがこの時期…結局金木犀には置いていかれちゃったよね…うん、まあ、秋はまだ終わってないしね?
 
 
 そんなわけで、この歌の歌詞、Cメロだけ若干毛色が違うんです。
 真っ赤に燃える空を眺めて、どこかの街に上がってるかもしれない火の手を思うことなく、ただ、家に帰りたいなあと思う、帰るべき我が家を脳裏に思い描ける、ついでに夕飯のカレーの匂いまで想像できちゃうw、そんな幸せが、金木犀の甘ったるい匂いとともに世界中に満ちわたればいいよね!……という、場違いっぽいメッセージがここにだけ詰め込まれております。
 そうなんです、すっっっげーーーーー分かりにくいですが、この曲はノーモアウォーな曲なんです、私の中では(^^ゞ
 まあ、そのメッセージは伝わらなくても仕方ないかなとは思ってますが、情景は描けてるかなあ、描けてればいいなあ。
 
 今年の春、桜が咲いたときにも思いましたが、本当に花というのは、季節というのは、誰に頼まれなくても淡々とやってきて過ぎてゆくんですね。
 人間がいかに絶望に打ちひしがれていようとも、そんなことはお構いなしに、もちろん人間を励ますためなどでは断じてなく、花はただ己が生きるためだけに全力で咲いて散ってゆく。
 その変わらぬ営みは、けれどやっぱり、紛れも無く「希望」です。
 泣いたって喚いたって絶望したって、世界はそんなことぐらいで終わってはくれない。ならばこの目が見える限り見届けるしかないじゃないですか。
 
 そんなことを思い出させてくれる桜に、金木犀に、ありったけの感謝を。