『Noisy Life』 EXTRA Disc

EXODUS --chapter 7--

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 あまりに何気なく、生活は日常を取り戻した。
 俺は身の振り方を決めかねていた。香から手を引け──そんなこと言われても、と思わずにいられない。武藤に言われたからといってどうなることでもない。だからと言ってどうやって確かめろというんだ、香さんの意思など!
(あのさ、香さん、僕と別れたいと思う?)
 ……冗談じゃなかった。こんなこと、面と向かって訊ける訳がない。
(分かった、ごめん。香さんと上手くやれよ)
 あの時そう言いはしたものの、そんなことを俺と武藤の間だけで決めてしまっていいものか。
 武藤は香さんを好きなのだろうか。そうだとして、もし香さんも武藤のことが好きなのだとしたら……俺に出る幕なんかない。馬に蹴られて死んでしまえ、だ。いや、武藤の気持ちがどうあれ、香さんがもし俺じゃない人を思っているのなら、もう話にならない。結局は彼女の気持ち次第だ。だけどそれを確かめることはどうやら至難の業だ。
 いいじゃないか、今のままで。俺が別れたいと思っていない以上、香さんと別れなければならない理由は今のところないぞ。そんな開き直りのような結論を無理矢理導いた頃、ちょうど連休は終わりを告げた。

 今日は二コマが一緒だったのでそのまま香さんと学食へ向かった。毎週のことだ。それでも、センターの準備期間やら成人の日やらその振替やらでさんざん休みになった後だし、だいたい俺は帰省してたのでずいぶん久し振りではある。感覚としては。
 香さんはいつもの通り、そのまま渋谷センター街を歩いてても違和感なさすぎな格好でお出ましである。今日はこの冬一番の冷え込みだと言ってたけど、フェイクファーのコートにミニスカート、ショートブーツで頑張っている。男の俺から見れば、寒々しいことこの上ない。
「女の人はあんまり足腰冷やさないほうがいいと思うよ」
「そうよねえ、いざって時に困るもんねえ」
 からからと笑っている。……な、何もそこまで丁寧に納得しなくても。
「雅貴の成人を祝って、乾杯!」
 セルフサービスのお茶の器を掲げて、香さんは言った。こつん、とプラスチックの触れ合う音。
「これでキミもオジサンの第一歩だね」
「そう言うアナタはオバサンの第二歩ですか」
「あ、二十一でオバイチなんだって、女の場合。で、二十二でオバニで、二十三でオバサンで……そうすると、二十九はオバキューになるんだよねー」
「わー……」
 同じように考えると、男の二十九はオジキューになるのか。これはあまり面白くないな、と思った。
 お茶はまだ熱くて、「乾杯」はできそうになかった。ので、一口含む。ある程度お盆の上を片付け終わるまで無言だった。何も言わずに黙々と食べる。不味くはないけど、じっくり味わって食べるほど美味くもないのがうちの学食だ。
「で、どうだった? 久々の帰省の感想は?」
 もぐつかせた口を手で押さえながら香さんが訊く。飲み込んでから喋りなっていうのになあ。まあいいけど。
「どうって言っても……」
 武藤に殴られて佐世子さんと喋ってきた。最初に浮かんだこの答えは即座に却下した。あまり気軽に口にできる話じゃない。
「変わった奴もいたし変わってないのもいたけど、やっぱり懐かしかったよ」
「……いまいち感動薄いね。親御さんとかはどうだったのよ。あんたずいぶん帰ってなかったから、喜んだんじゃないの?」
 過剰歓迎してくれたお母さんと、出がけに見たお父さんの渋い顔が同時に浮かぶ。……微妙なところだ。あ、でも清貴は。
「うん、まあね」
「中坊のクラス会ってやっぱりあった訳?」
「あったよ、もう夕方頃から早々と。でもメンバーが中学校の仲間なのに行った場所が飲み屋だったから、ちょっと変な気分だったけど」
「……雅貴、あんたもしかして飲みにも行きません、買い食いもしませんなんて真面 目な中学生やってたとか
ぁ?」
「やってました、すみません」
 あららー、とか何とか呟いている。僕は香さんと違ってヒンコウホウセイでしたから、と言うと、香さんは裏拳で俺の腕をはたいてきた。
 カオリさんはフォークを持つ手を一瞬止めたようだった。かと思うと、すぐにそのままケーキに直行して、一口サイズに切り分けて口に運ぶ。その一連の行動が、どこかぎこちなく見えた。
「あ、ところで、昭道とは何かあった?」
 …………。
「こないだあたし変な伝言伝えたじゃん。あれどうなったのかなって」
(人の従姉に余計なちょっかい出すな)
 人の彼女に余計なちょっかい出すな、とは言い返せなかったんだ、あの時。苦々しい後味ばかりが残る、武藤との会話。
 いつの頃からそんなことになってしまったのか。
「まあ……つつがないって言えばつつがなかったよ」
 大後悔。これじゃ話が続かない。彼女の気持ちを確かめる、チャンスだったかもしれないのに。
「つつがない? じゃあいいんだけどさ。あたし思わず心配しゃったよ、あいつかなりやばいから」
「やばい? 何が?」
 まあ確かに相当喧嘩っ早いところはあるけど。
「えーと、それについては、つまりタイム・イズ・ライプだねってことなんだけど……」
 そう言って、香さんはきょろきょろ周りを見渡した。ああここじゃやばいかな、などと呟いているのは。
「雅貴、外行こう。すぐこれ食べちゃうから、待ってて」
 ケーキの残り五分の一ほどを一口で片付けて、香さんは立ち上がった。俺はただついて行くしかなかった。言いたいことは多少予想がついた。だけどそれを聞かない勇気も、俺にはなかった。
 タイム・イズ・ライプ。

 「単刀直入に言うとね、あたしかなりあんたに嫉妬してんの」
 開口一番、香さんはこんなことを言った。
「僕に?」
「そう。昭道が行っちゃってるせいで、あたし男に嫉妬する羽目になってるんだよ。ひどいと思わない?」
 どこかで聞いた台詞だ、と思った。……佐世子さんだ。では篠宮さんももしかして俺に嫉妬してたのだろうか。武藤の彼女だった佐世子さんが、その前の彼氏だった俺に? 変な話だ。
「あたし、もともと昭道が好きだったのよ。従弟なのにね。ちょっときわどいのは分かってるから、こんなこと言えないじゃない? そしたら、こっちが黙ってるのをいいことに、あいつ口を開けば雅貴のことばかり。憎々しげに言っちゃいるけど、あいつ、相当あんたのこと気に入ってるよ」
「……待って」
 思わず、口を挟まずにいられなかった。ということは、どういうことなんだろうか。つまり……武藤は? 冗談だろう、と思った。でもそう考えれば割と辻褄の合うことが多い気がする。
(誰一人、お前にとっての特別にはなれないんだ)
(お前にとっての特別には)
(なれないんだ)!
 ちょっと待ってくれよ。全ては俺の決断に委ねられてるとでも言いたいのか。俺に何をそんなに望むんだ。こんなつまらない馬鹿な人間に、そんなにたくさん期待をかけてくれたって困るんだ。やめてくれ。俺にはどうすることもできない。何ひとつ満足に応えてあげられない。
 ──今更どうにもならない。
「でね、あたしはかなり悔しかったので、昭道をぎゃふんと言わせてやることにした訳よ。ちょうど同じ学部にあんたはいた。相沢雅貴ってのが何者だか知らないけど、とりあえず手に入れてやろうって。そうすればあいつを悔しがらせてやることができるって」
 だって武藤は男だから。武藤の気持ちには答えてやれないという生まれつきの必然。
「つまり、あたし、あんたをダシに使ったのよ。将を射んとせばまず駒を射よ、って言うでしょ。あんたを手に入れたあたしに、あいつが嫉妬してくれれば良かったの。そこからは自分で何とかするしかないしさ」
 武藤が一人の人間として好きかどうかとはまったく別の次元でとにかく問答無用で武藤の気持ちには答えてやれない。でもこれは俺の側の勝手な理屈でしかなくて。同じように、やっぱり武藤が俺にぶつけてくる気持ちは勝手かつ暴力的な感情でしかなくて。
「馬鹿なのよ、あたしも昭道もおんなじことしてさあ。変なとこでそっくり。ひどい奴でしょ、あたし? 呆れたでしょ」
 ずるい、と思った。こっちより先にさっさと投げやりになるなんてずるい。香さんは最初から俺のことなど眼中になかった。じゃあ俺は? そうだ、香さんに付き合ってくれと言われたから。でも今は? 今、俺は香さんを好きだろうか。
 どう言えばいいのだろうか、この気持ちを。ただ香さんの世話の焼けるところがたまらなく気になって、それでその気になるということが俺にとっては不可欠な要素なんだ。香さんの世話を俺の他に誰が焼いてあげられる? そんな自信過剰な独占欲を何と表現すれば?
 でももうどうしようもない。香さんの気持ちが俺になかったということが分かった以上、俺の勝手な独占欲を押し付けることはできないじゃないか。
(ソレガオ前ノ本音ナノカ?)
 ……そうだ。
(本当ニ、ソウナノカ?)
 ……だったらどうだと言うんだ。
(繰リ返スノカ。性懲リモナク)
 繰り返す? ……何を。
(ソウヤッテ自分ヲ守ルノカ。オ前ハ自分以外大事ジャナイノカ)
 自分より香さんの感情が大事だから諦めようとしてるんじゃないか。自分の感情を押し付けて香さんを困らせたくない。香さんは俺ではなくて武藤が好きで、だから俺には引っ込んで欲しい筈だ。それなのにここで俺がまるでストーカーのように言い募ってどうする。俺がいくら言い募ったところで、香さんは俺になびいてくれやしないだろう。どっちにしたって俺は拒否されるんだ!
 ──俺は、拒否されるのだけは、ごめんだ。
(ホラ、ソレガ繰リ返シダト言ウンダ)
 はっとした。自分の勝手さに。
 俺を取り囲むどんな人間からも拒否されたくないという傲慢なまでの勝手さに。そのためにあらゆる決断を回避して相手の意向に沿ってみせ、しかもそれを「期待には応えなければならないから」と言い訳して責任を相手に着せ、自分を美化する狡猾さに。
 言い訳だったんだ。全部。俺のこれまでの人生すべてが!
 期待に応えるためなんてのはただの方便。俺はノーと言われることを──俺という存在を拒絶されることを恐れて、「何でもするから俺を見捨てないで!」と皆にすがりついてる憶病者だったんだ。
 そうやって、結局大事なもの全て踏みにじってきたんだ。佐世子さんの気持ちや武藤の気持ち……それらを全部空回りさせ続けて、そのことにすら俺自信は気付かずにきた。それが俺の高校時代。
 もう戻りたくはない。
「……何が言いたいの、香さん」
 体中の自律神経全部この口に預けよう。大脳を経由しない言葉を吐き出してしまえ。今こそ。
「今どうしてそんなことを言うんだ。怨みを買うためか? それを聞けば俺が君から離れていくとでも思ったのか? だったら俺は今の言葉を聞かなかったことにする」
 俺は今世界中で一番勝手な男かも知れない。それでもいい。
 好きだという気持ち、それ自体がエゴなのだから。それでいいし、それこそが全てなのだということを、俺は知ったから。
 佐世子さんにこの間やっと言えた言葉。香さんにも言える筈。
 今度こそ、時を誤らずに。

(君を手放したくなかったんだと思う、きっと、俺は)

 過去形など使わなくてすむように。

「香さん、俺は、君を────」

***

(……待ッテタ。ソノ言葉)

 そう紡いだ彼女の唇が急速に至近距離に近付き、触れ、離れた。
 体中の力が抜けて、俺はその場にへたり込んだ。仰ぎ見ると、呆れるほど澄み渡った空に煙草の煙にも似た白い息が立ちのぼり、かき消えた。


(fin.)


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