『Noisy Life』 EXTRA Disc

EXODUS --chapter 2--

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 籠の外に広い世界があると知らされた籠の鳥は幸せを感じるだろうか。
 俺は思う。何もあの頃だけが籠の鳥だった訳じゃない。ずっと、おそらく生まれてきた時から。自分が籠の鳥だと気づいてしまったから、俺の高校時代はモノトーンで彩られている……。

 これでもかってぐらいの名門私立──俺の母校である翔斉高校は、県内で一、二を争うぐらい確かに偏差値は高かったけれど、内情はそれほど平穏じゃなかった。
 先生はごく一部の変わり種を除けばだいたい杓子定規極まりないか、あるいは無関心なタイプに二分できた。生徒は生徒で、絵に描いたような真面 目型もいたけれど、公然と校則違反を犯す類いも割といた。何せ、なまじ「出来る」ものだから、生徒がその気になって理論武装すれば、先生にも歯が立たない。それでも表向きは確かに名門私立。これが、俺の母校だ。そして、そんな中で俺は特別真面目でも不真面目でもない、いわゆる「無難な」生徒だったと思う。
 それでも、別にことさらつまらなかったとは思わない。思い出もそれなりにある。人間は、どこまでも現状に満足することができるのだから。
 「孤立を恐れない勇気より争わない勇気」──いつからだろう、この言葉を俺は誰に教えられるでもなく座右の銘にしていた。
 旗色を明らかにしない。俺が正しいと思ったことの、アンチテーゼを唱える人は必ずいて、そのどちらかが間違っているなんて審判を下す権利など俺にはない。それは傲慢だし、第一、必ず周りを傷つける。
 争わずにすむ方法を、俺は結構苦労して身につけたつもりだ。本当は苦労せず、誰を傷つけることもせずに身につけられたならそれが一番なんだろうけど、残念なことに叶わなかった 。
 あともうひとつ。自分の置かれた環境に疑問を抱いてはいけない。自分は何でここにいるのかとか、何でこんなことをしているのかとか……そういうことはできる限り考えないようにする。自分の意向を押し出せば衝突するから。俺はそういう風にしてきた。もうずっと前から。
 おそらくは物心ついた頃から。

***

 その頃俺は弓道部を退部したばかりだった。
 些細と言えば些細なきっかけだった。小学生の頃から習い続けてきて、中学、高校と当たり前のように所属してきたけど、この度やめることになって、思ったほどの未練はなかった。それで俺はああ、と思ったものだ。何が何でも大好きだという訳じゃなかったらしいと。ただ、高校生活の残る二年間を、このまま体も動かさずに過ごすのは少し手持ち無沙汰だなとは思った 。
 だから何でも良かったのだ。心地好く汗のかけそうな所ならどこでも。それを考えると別 に必ずしも学校のサークルである必要もなかったんだろう。きっかけは、特別多くも少なくもない俺の友達のうちの一人の誘いだった。
「相沢、お前今フリーなんだよな?」
 俺が頷くと、彼──宇野は何やら嬉しそうに手を叩いて、机に身を乗り出した。
「よし決まった。悪いことは言わん、騙されたと思ってすみやかにわがワンゲル部に入りなさい」
「え、何で?」
 何気なく訊くと、宇野は少し動揺したようだった。何か魂胆があるに違いない。……そういえば、今年は新入生の入りが潰滅的に悪かったとか何とか。
「宇野、確かこの間部員が足りないって言ってたよな」
「ふ……ふっふっふっふっ……ばれちゃあ仕方ない、いや実にその通り。部として存続できるかどうかさえ危うい状態にあるから、君を名前だけでも引きずり込もうとしてるのだよ相沢君」
 ス、ストレートな……。身も蓋もないというか何というか。
「何つっても、オゼゼの問題は切実でしょ。ワンゲルって結構金かかるのよー。今年先輩がみんな引退して、同好会扱いになんかなったら、予算もらえないでしょうが」
「……お前、それさ、僕が生徒会会計だって知ってて言ってる?」
「うん、勿論!」
 両手を合わせて神様お願いポーズなどしている。客観的に見てかなりおかしいんだけど、笑ってやるのは何となく悔しいから溜息をつくにとどめた。すると真剣そのもの、という眼差しと口調で、宇野は俺に言いつのる。
「……相沢、今度昼飯おごってやろう。どうだ?」
「いらないよ、そんなの。……分かった。入ろう」
 特に考えるでもなく、ごく自然に出てきた言葉だった。自分がそんなに弓道に入れ込んでいた訳じゃないことを知ってしまったから。体を動かせるならどこでも良かったし、それが友達を助けることになるのならそれもいい、と思った。
「さんきゅー、だから相沢君て好きさー」
 いつも通りのおちゃらけた宇野の物言いを聞きながら、俺は口の中で言葉を転がしていた。
(ワンゲル、か……)
 当然のことだが、ワンゲル部は山に登る。頭の痛くなるようなことが起こるだろうな、と思った。そしてそれは実現した。

 「まあ、雅貴さん! 山登りなんて危険じゃないの!」
 というのに始まって、俺は一通りお母さんの説教を聞く羽目になった。
 とは言っても、お母さんの言い分はかなり感情論に走っているので、論破することができない訳じゃなかった。でもそこまでする気もないから、いつも俺は黙って聞くことにしている。そして聞き終わった後、こう言うのだ。今回も例に漏れることはない。少し間を置いてから、口を開いた。いつもと同じ調子で。
「大丈夫ですよ、そんな不注意はしませんてば。無茶なプランも立てない。その辺りもちゃんと分かってます。信用できませんか」
 そうすればお母さんは必ず折れる。今回も例外ではなく、溜息混じりではあるけれど頷いてくれた。
「……そうね、雅貴さんはしっかりしてるものね。私達の期待を裏切ったことも、一回だってなかったわね…
…」
 この言葉を引き出せれば俺の勝ちだった。裏切ったことはない。それが、俺の信頼──。
 時々、痛いけれど。息が苦しく感じることもあるけれど。
 そんなものは気のせいだと思った。俺は両親をがっかりさせないように努力しているだけ。その度に期待はどんどん重くなってゆくけれど、「這えば立て、立てば歩けの親心」というのは俺にもよく分かる。
 不服など、何もないのだ。そう何ひとつ。

 けれど、この時から、俺の中の何かが確実に変わり始めていた。

 文化祭があった。
 翔斉高校に入って二度目の文化祭だ。この時期、翔斉の生徒の何割かは被り飽きたエリートの仮面をかなぐり捨てて、ここぞとばかりにパワーを全開にする。この「名門私立」にもやっぱりロックフリークは存在した。そして、それを演る有志バンドも。
 俺は生徒会の人間だったから、他のみんなとは少し違う意味で何かと忙しかった。忙しいのは望むところだった。忙しさにかまけてこの文化祭を乗り切ろう。それだけで一応の充実感は手に入る。
 でもちょっとした事故が、俺の心積りをあっさり崩した。
「相ちゃん、助っ人頼まれてくんない?」
 有志バンドのひとつの、キーボーディストが練習中に音楽室のピアノで怪我したんだという。そこのボーカルがたまたま俺の友達の遠山で、俺に泣きついてきたのだった。「泣きつく」という表現があながち比喩ばかりではないような雰囲気で。
「僕でできることならするけど……ロックキーボードの経験なんて全然ないよ?」
「分かってる」
「こういう言い方も何だけど、他に心当たりないのか?」
「ないんだ……って言うか、いることはいるんだけどな。下げたくないんだよ、レベルを。……あいつ、むちゃくちゃ上手いから」
 お前なら基礎は申し分ないだろ、と、遠山は言うのだった。
 事情はよく分かった。でも、だからこそ俺でいいんだろうかと思ってしまう。人が思うよりピアノとキーボードはわりと別 物だ。コードとか転回形とか……分からない訳じゃないけどどうも馴染めない。とりあえず大方のところは初見で理解できるとは思うけど。
(レベルを下げたくないんだ)
(あいつ、むちゃくちゃ上手いから)
 真剣なんだ、と思った。こいつのこういう所はすごいと思う。好きなことに純粋に向かうのが、じゃなくて、好きなことだから、趣味だからこそシビアにクオリティを目指すのが。それが義務でも何でもなく、数ある中から確実に自分で選んだものだから。
 俺は目を細めた。乗っかれればいいと思った。束の間の幻でも構わない。彼の後について行けば、俺なんかじゃ及びもつかない場所を垣間見ることができるかもしれない。
「……いいよ。やってみる」
「本当か!? サンキュー、すげえ助かるよ!」
 そう言った時の遠山の表情が、何だか妙に印象的だった。

 それから俺は練習した。家でやったらお父さんやお母さんに何か言われて言い訳しなきゃいけないんだろうなと思うと結構気が重かったので、学校でやった。尾崎豊あり、ビートルズあり。あとさらに何種類かの、実はよく分からない曲のコピー。その中にたった一曲だけ、オリジナルが混じっていた。
 事務処理と練習に追われて、当日はあっという間にやってきた。気がつくと、俺はステージの上だった。思ったよりたくさん人が来ていた。人垣の前のほうには佐世子さんと武藤も──。
『エクソダス』
 遠山が、自分で作った曲のタイトルを紹介した。テンポは二百近い、さすがにキーボード・パートのかなり難しい曲。
 ドラマーがスティックを打ち鳴らした。それが合図だった。
 どん、というか、ずしゃっ、というか、そういう類の圧力を持って、それは襲ってきた。
 その時点で既に、俺は何だかもうよく分からなくなっていた。ただ引きずられるままに。音の洪水によって引っ張り出された俺の中の嵐に引きずられるように弾き飛ばす。振り落とされないようにするのが精一杯だった。
 歓声。シャウト。歪んだギター。混ざり合ってそれは熱波になる。そうか。遠山はいつもこういう風に。

   どんなに腕を伸ばしても どんなに息を切らしても
   辿り着かないあの非常口

   When is the EXODUS?
   (嘘臭い真実はもう要らない)
   When is the EXODUS?
   (生温い現実には飽き飽きさ)

 一瞬の間。ここでグリッサンド。鍵盤の右端から左端まで一気に。
 遠山のブレスの音。火傷しそうに熱い塊が流れ出す前兆。

   この閉ざされた箱庭から飛び出す術を
   見つけるんだ
   きっと

 ステージが終わって裏に引いてから、遠山と目が合った。
「レベル下げちゃっただろ。済まない」
 俺が言うと、彼は痛いぐらい思い切り背中を叩いてくれた。そのままの姿勢でただ一言。
「どこが?」

 忘れることができない。初めて登った山の空気とその解放感。ステージの上で感じたあの熱波。もう手遅れだった。もう知ってしまったから。自分が不自由だということを自覚していない状態をこそ自由と呼ぶのだから。俺は不自由だ。はっきりとそう思った。
 俺は東京に出ることに決めた。それを両親に納得させるために、全国随一と言われている東都大学を受けた。
 ──そして、無事合格した。

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