野球バカっつーのは、まさにこーゆーヤツらのことを言うんだ。オレはこのごろ、こいつら野球部トリオを生ぬるい目で見守りながら、つくづくとそう思う。
何時から始まってんのかわかんない朝練が終わって教室に入ってくると、こいつら三人、まずそろって弁当広げ出す。そんでもって、ものの五分で食い終える。はっきり言ってちびっこいこいつらの体の、どこにそれが入るんだってぐらい、デカい弁当をだ。
食いながらでも、しゃべるほうだって休んじゃいない。なんでも、ここんとこ一日三、四回しかオナニーしてねーとか、つか今までどんぐらいしてたんだよとか、えーとねー(つって、指折り数えだすんだわ)とか、バカマジメに答えんなよとか。あとはなんだっけ、今日のオニギリの具はエビ天だとか、げーズリーとか、じゃーマズいプロテインとセットでやろっか?とか、抱き合わせ商法かよ!とか、まー騒がしーったらねーのよ。
そんなヤツらを、オレがじーっと見てると、「あっ浜田、弁当狙ってんな? ダメだぞ、やれねーぞ!」なんて田島が言ってくる。だぁほ、オレは朝飯食ったばっかだっつーの。
ひとりオタオタしながら、そんなやりとりを見てるのが三橋。でも、食い終わった弁当箱をしまおうとして屈んだ瞬間、やつのフトコロからなぜか野球のボールが転がり出てきたのに、オレは軽く吹いた。すげーわっかりやすく球児だなぁ、お前。
──昔は、こんなんだったのかなぁ? お前らから見たオレも?
……なーんて、な。
オレはひょいと肩をすくめた。一番欲しいもの以外にイミもキョーミもない。すげー大事なソレは、当たり前みたいに腕の中にありすぎて、いつの間にか腕からこぼれ落ちてっちまってたことに気づいたときにはもう遅かったってハナシ。
足もとで粉々になって散らばってチラチラ光ってるカケラを、オレは拾わなかった。
カケラは、カケラ。
オールオアナッシング、ってやつ。
──ところで、お前らのそのデカい弁当とか、笑い声とか、日に日に黒くなってく顔とかのまわりに散らばってる、それはいったい何なんだろう。
その、オレの目をチラチラ刺すモノは。
***
次の日から、オレの目覚ましはこれまでより一時間も早い時刻に、元気に鳴るようになった。
つっても、元気なのは目覚ましだけで、肝心のオレはその元気なうるさいやつをムリヤリ黙らせて二度寝に入っちまうから、結局なんも変わんないんだけどさ。
目覚ましが暴れだす時間は当然眠い。九割がた寝てるまんまのアタマの片隅で、あーヤツら練習やってんのかななんて思って、でもそれはやっぱ片隅だけで、すぐに眠気に押し流される。
起きられもしない時間に目覚ましなんか鳴らすな、なんて、実にごもっともな説教をオヤからくらうだけで、何のイミもない。
だいたい、二度寝で見る夢はたいていイタダケナイって、相場が決まってんだ。
たとえば──ギシギシ荘の夢とか、中学の野球部の夢とか。
ある日、教室の隅っこのほうで三橋が何やら紙袋の中から取り出して床に置いたのを目撃した。
近寄ってみると、それはどうやら角材みたいで、三橋はオレに気づかない様子でそれの上に片足で乗っかった。胸の前に抱え込むボール。
「よー、三橋、何やってんの?」
「……っ! うわあぁ!」
そのままぐいっと振りかぶろうとしたらしい三橋は、オレの声にびっくりしたのか、角材の上で飛び上がって悲鳴を上げ──片足一本で支えきれなかったようで、床に派手にしりもちをついた。
「わ、わりィ! 大丈夫か?」
顔をのぞき込む。こくこくうなずいちゃいるけど、三橋の視線は泳ぎ回ってる。真っ青になりながら真っ赤になってるっつー、器用な顔色。
「何やってたの、お前、それ?」
「ワインド……アップ……」
「この上で?」
……そりゃまた、なんで。
「がっ合宿でっ! カントクが、ワインドアップ……体幹……って」
昔っから──こいつが間違いなく“ギシギシ荘のミハシ”だったとして、だ──ミハシは、アタマん中にあることを口にするのにえらく時間のかかるヤツだった。でもそーゆーのって、フツー大っきくなりゃある程度よくなるもんだと思うんだけど、コレむしろ悪化してるよなぁ。
とりあえず、こーゆーときは急かさないのがイチバン。
三橋の目線にあわせてオレはかがみ込んだ。そのままヤツの言葉を待つ。あー、この体勢もなつかしーなぁ。昔からオレはどっちかって言えばデカいほうで、“ミハシ”は細くてちっこかったもんだから、しゃべるときは自然にしゃがむ格好になるんだよな。
そんで、ボソボソと三橋が語るところによると、なんでもこないだのゴールデンウィークの合宿で、監督にこの角材の上でワインドアップしてみろと言われてやってみたところ、全然ハナシになんなくて、それは“体幹”ってヤツが弱いからで、それを鍛える練習として、この角材の上でちゃんとワインドアップできるようになれ、という監督のお達しなんだそうな。
……あれ、でもそれお前、ゴールデンウィーク終わってから毎日やってたっけ?
「きのう……うちで練習、できなかった……から」
わざわざ家からえっちらおっちら持ってきたってわけか。きのうの穴埋めのために。
なんつーか、そーゆーのってさ……
「……スゲェ、よなぁ……」
オレは別に声に出したつもりなんかなかったんだ。けど、三橋がなんか口パクパクさせてくるから。
「べっ……ス、スゴ……」
「は?」
「スゴく……なんか、ないんだ……」
いやスゲェって、フツーそこまでやんないって、って言おうとしたオレを遮るようなタイミングで、三橋はがばっと顔上げてきた。真っ赤。
「だって、できない……から、オレ」
真っ正面から、目が合う。
「できないヤツは、やらなきゃダメだ……から」
──ズドン、ときた。ハラに直
《チョク》。
ああそうだろう、何だってそうだ。野球だろうがベンキョーだろうが腕立てナン十回!だろうがバイトだろうが、できないからやる。できるようになるまで、やる。基本中のキホンだろうよ。
……でも、三橋、知ってっか?
世の中には、できないことはあきらめる、っつー道もあるんだぜ。
たいていのオトナは、もちろんそんなこと教えない。でも、いつの間にか、知るんだよ。んで、だんだん味しめるんだ。なんだ別にいいじゃん、これでいいんじゃんって。
……ナットク、しかけてたのに、な。
要するに、ここんとこずっとオレの目を刺してくるチラチラしたものっていうヤツの、これが正体なんだって──お前らの周りに散らばってるそれが、まるであきらめて納得しようとしてるオレのこと責めてるみたいにまぶしいから、って考えること自体が思い過ごしっつーか自意識カジョーっつーか、きっとお前らはそんな気全然ないんだろな、オレが勝手にそう感じてるだけで。
こーゆーのを、なんて言うのかたぶんオレは知ってる。
──“ヒガミ”っていうんだ。
***
中間をなんとかやり過ごすと、夏がやってくる。
脳天ジカジカ焼けるような太陽、毎日「日中の最高気温を更新」とか言っちゃって、それに合わせて野球部トリオのメシの量は減るどころか増える一方で。
ヤツらの目標は、ジョーダンでもなんでもなく「行こうぜ! 甲子園!」なんだそうで。
そして、オレはまだ三橋に訊けてない。
──お前は、ギシギシ荘の“ミハシ”なのか、って。
いや、どこをどう見たって間違いないとは思うんだけどさ、ここまで何にも言われもしない訊かれもしないってなると、ひょっとしてオレの一人合点なのかもしれないなんて考えちゃってなかなか話が切り出せない。
……それに、オレ、なんかいまだに怯えられてるんじゃね?
そうだよ。それってちょっとおかしくねえ? だって、こいつがあんときのミハシだったとして、オレ、“ハマちゃん”だぜ? 道いっぱいにダイヤモンド描いて毎日野球ごっこやってさ、オレピッチャーでさ。タマ拾いに誘ってやったらお前スゲェ喜んで、そのうちちっちゃくなったグラブお前にやってさ。あそこで遊んでたメンツ、みんな一コか、せいぜい二コぐらいしかトシ違わなかったのに、お前は一番ちっこくて、いつもオレらの後ろ必死でついて回ってて、けどメチャメチャ楽しそうに笑っててさ……。
どうしちまったんだ、お前?
あぁ、ようするにオレはそれが訊けないから、ハジメの一歩を踏み出せないんだ。
視線が合うだけでビクビクオドオド、ちょっと視界の外から声かけようもんなら、ハッキリそうって分かるぐらい派手に肩跳ね上げて。“昔のミハシ”を知ってるからこそ、オレが知らない間に知らないトコで何かあったんだろうことは、察しがつく。
人から自分の名前呼ばれるのにそんなにビクつくって、どーゆー気持ちなんだ、ミハシ?
……訊けるもんかよ。訊けるワケない。
***
とは言っても、気になるもんは気になるワケで。
最近のオレときたら、授業中は窓の外なんとなく見るフリして、机に突っ伏しっぱなしの三橋の背中見てたり、休み時間も、泉と田島の間でならちっとはフツーに笑えるらしい三橋の顔を眺めてたり、我ながらかなりアヤシイやつだと思う。いや、別に四六時中アツい視線を注ごうとして注いでるわけじゃないんだけどさ、なんとなく気がついたらそうなっちまってるっつーか……。
気まずかったのは、しげしげ三橋のこと見てるところへ、泉と目が合っちまったときだな。例によって泉のヤツ、こっちのことニラむ一歩手前ぐらいの視線よこしてきて、すぐ何ゴトもないみたいにすっと目をそらして、そのあとも何にも言ってこない。
田島ってヤツは、何にも考えてねーのか、全部わかったうえでまるごと受けとめてんのか……イヤ間違いなく、“考えてねー”んだろうな、すさまじくスムーズに三橋と会話を成立させている。泉とも会話は成立してるらしいけども、泉はたぶん泉なりに気ィ回したり、それでもよくわかんねぇトコもあったりするみたいだから、田島みたいなのはやっぱ別格なんだと思う。
──あーゆー笑顔、昔はしょっちゅう浮かべてたんだぜ、ミハシ。
なのに、さ……。
いつ訊こうか、いつ訊こうか、いつも一緒にいるんだからキッカケなんて山ほどありそうなもんなのにこれがなかなか見つかんない。
なーに、なんにも気張るこたぁない。さらっと言やいいんださらっと。泉と話してるときあたりにでも、何気なく小学校んときのハナシ持ち出して、たとえば……「そうそう、そう言やさぁ、ミハシはあれからどうしてた? オレら二、三年ぐらいまでよく遊んでたよなぁ、ほら、あのすげーボロいギシギシ荘の前でさ」とか何とか?
……ざーとらしい、か。そうだよなぁ……。
ムリムリ雑談の中で何気ないフリして聞き出そうとするからいけないのかなぁ。
もっと単刀直入に訊くか? もうそれこそズバッと、「三橋って、ひょっとして小学校ん時ギシギシ荘に住んでなかった?」とか。そんで、もし違ってたとしても、そんときゃ「そっかー、人違いかぁ。いや昔おんなじ名前で顔もちょっと似てるヤツがいたもんだから」つってフェードアウトできる、と。
んじゃー、もしその通りだったら?
まさしく三橋がオレの知ってる“ミハシ”で、ギシギシ荘の前で野球ごっこやって遊んだ記憶もバッチリあって、タマ拾いもっとうまくなれるからっつってオレがやったグローブのことも覚えてるとして。
お互い、あれ以来相手がどんなふうに過ごしてきてたか、それだけを知らない。
オレたちの昔のこと話すのに、野球は避けて通れない。でも、ミハシのあの態度見る限りじゃ、オレと別れたあとの何年間か、ヤツが楽しい日々を過ごしてこれたような気がしない。それが野球と関係あることなのかどうなのかはわかんねぇけど、あのミハシと野球を切り離して考えるほうがムリがありそうな気もする。
そんな“野球”のハナシにつながりそうなこと、わざわざ地雷踏むのもどうなんだろうって気がしちまう。
……いや。それはタテマエ。
そう、もう最初っからわかってるんだ。
お前と別れたあとの数年間、どんなふうに野球をしてきたのか、訊かれて痛いのはオレのほう。どうして今野球部入ってないのか答えたくないのも、だからギシギシ荘の頃のこと話すだけでもう既にある意味辛いカンジになっちまうのも──全部、オレ、なんだ。
後生大事に抱えとかなきゃいけない過去ってのがあるんだとして。
きれいさっぱり後腐れなく手放さなきゃいけない過去ってのもあるんだとして。
たぶん、オレのは、あとのほうのヤツなんだ。
わかってるんだ。先に進まなきゃいけないって。なくしちまったものはもうあきらめて、最初っからなんにもなかったように忘れて、新しい道探さなきゃいけないんだって。
……あきらめるな、って何度も何度も、なんだかもう全部の感覚マヒして笑うしかないオレの分まで泣きながら怒鳴り回ってたヤツもいた、けど。
どっちが正しいんだろう?
オレはどっちを選べばいいんだろう。どっちかを選ばなきゃいけないんだろうか。選ぶってことは、捨てるってことと同じだっていうのに。
(...to be continued)