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虹待ちの空
〜A tale of Blessed-Infants〜
作/櫻井水都
掲載サイト/AQUAPOLIS
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【第5章 賓客】
第5幕

 明らかに、空気が変容していた。
 マントをゆったりとなびかせて、その魁偉な男が歩を進めるたびに、肌を圧する空気の濃度が高まってゆくような気分に囚われる。それは魔力に起因するものではなく──言うなれば、強すぎてほとんど尊大なまでの覇気、といったところだろうか。
 上体をかがめて膝にすがりついているのが精一杯であったはずのフレティが、弾かれたように立ち上がり、背筋を伸ばした。そしてそれきり、彫像のように動かない。
 フレティと同じ姿勢を取りながら、口の片方の端だけでごく小さく舌打ちをしているアルの様子を、リューズはみとめた。興味をそそられる彼女だが、目が合うと即座にアルは顔を背けてしまった。
 様子がよく分からないが、立ち上がって礼をするヒストにひとまずリューズは倣った。
「──父上」フレティが呻くように呟いた。
 男は息子をあごの上から眺めやった。雄弁なる無言をうけて、フレティは顔を上げた。心なしか頬が青ざめているように見えるのは、まだ完全には明けやらぬ空の色によるものであるのか否か、はっきりとは分かりかねた。
「申し訳……ございません、父上」
 一言を絞り出すと、震える息づかいがひんやりとした静寂にことのほか大きく響いた。
(「父上」……)
 似ていない親子だ、とリューズは思った。不躾なまでにしげしげと見比べるが、共通点を探すのはかなり難しい。
 いや、決して無いわけではないのだ。髪の色や瞳の色、眉から鼻にかけての線など、似通った箇所はむしろ多いとすら言える。それでも、形にならない絶大な何かが、この親子をくっきりと区別していた。その曖昧なものを、敢えて言葉にするなら──雰囲気、という、これまた曖昧な言葉になろうか。
 思えば出会い端から、庶民離れした何かをまとっていたフレティである。痩せて、青ざめ、ずぶ濡れになって森の中で倒れていてすらも、どこか貴族的な光彩を総身から放っていた。庶民的でない、という点のみを取り出すならば、彼は父に似ていると言えるかもしれない。彼のまとう典雅な空気と、父の放つ猛々しい武人の覇気とを、似ていると言って差し支えないのならば。
 目をすがめたまま、偉丈夫はなおも無言である。それ以上誰の発言もないために、場は不自然な沈黙にすっかり支配されてしまうかに思われた。
「──ラディアン大公閣下」
 ヒストが一歩前に進み出た。お辞儀をし、組み合わせた両手を頭の高さに掲げる。リューズの日常生活ではまず見かけることのない、格式張った礼であった。
「〈青の魔法学院〉主任教官、ヒストと申します。このたびは、勝手ながらご子息を学院の研修所に一時引き取らせていただきました。貴国と我が国との境に森がございましょう。そちらで倒れておいでだったため、ささやかながら介抱いたしました次第です。彼女たちが実際の介抱をいたしました。皆、教え子です」
 言って、ヒストは生徒たちを掌で指し示した。打たれたように三人は姿勢を正した。目顔で促されるままに、氏名を名乗り、一礼する。
 リューズは顔を上げ、あらためてラディアンを窺い見た。彼の視線は、さほどの興味もなさそうに彼女たちの顔の上を撫でて通り過ぎていった。だが、リューズが軽い違和感を覚えたのは、その無関心ぶりにではなかった。
 ──笑っているのだ、ラディアンは。
 それも、夜を徹して探し回った息子の無事に心から安堵しての笑みなどとは到底思われない、毒々しいものであった。
「でかしたぞ、フレイザーン」ラディアンは満足げに、フレティの肩に手を乗せた。フレティはかすかに身をすくめた。
「〈白の公国〉を豊かに発展させることが我が大公家の使命だ。我が国は強くあらねばならん。そして当然、強い国を治める者は強い大公でなければならん。吾輩の跡目を継ぐ者としては、お前はいささか物足りぬと、常々思ってきた。が……が!」
 ラディアンは高らかに笑った。
「此度はよくやった。行き倒れるという遣り口が、いかにもお前らしいと言えなくもないが……まあ、よい。偶然とは言え、吾輩の理想への手助けを立派に成し遂げたのだ。褒めてつかわす」
 フレティの表情が泣き出しそうに歪んだ。だが、一瞬のことだった。彼は父を真っ直ぐ見据え、細いが不思議とよく通る声で、一言告げた。
「ありがたき──幸せです」
「ちょっと待って、なんで!?」リューズはたまらず、割って入った。
 慌ててその口を塞ごうとするヒストも、ぎょっとした表情で覗き込むアイルも、片方の眉を上げて鋭い視線を据えつけてくるラディアンも、皆彼女の意識をつるりと撫でて通り過ぎていった。
「今の言葉のどこをどう取れば、幸せだなんて思えるわけ、フレティ? あたしには分かんない。だいたいおじさん、あなたの息子、森の中で倒れて呻いてたんだよ。いない、どこへ行ったんだって、大騒ぎになってたんでしょ。それがやっと見つかったんでしょ? 心配したぞとか、無事で何よりだとか、そういう言葉のひとつもかけてあげないわけ? おかしいよ、絶対!」
 ラディアンは微動だにしなかった。その代わりに、従者が動いた。
「娘、この方を〈白の大公〉と知っての暴言か!」
 帯刀した男が二人、リューズを取り巻いた。腕を掴まれそうになり、彼女は大きく跳びすさる。だがその必要はなかったようであった。ラディアンが大儀そうに片手を挙げると、従者はさっと居ずまいを正した。
「構わぬ。娘よ、そのほう、魔法学院の生徒とな?」
 リューズは答えず、ただラディアンを見返しただけである。隣国の大公の口調は意外なほどに穏やかだったが、瞳には火の粉の爆ぜるような光が浮かんでおり、その対比がリューズを竦ませた。
「学校では教わらなかったと見えるが……大人の深謀遠慮に差し出た口を挟まぬが得策ということを、これが機会だ、とくと学ぶがよい!!」
 首を引っ込めてやり過ごす──ことすらできなかった。
 毎日のようにヒストに叱られているリューズである、怒鳴られることには慣れているはずだった。だが、ラディアンの怒声はそれとは種類がまるきり違っている。彼の声音は赤熱していながら、同時に心底冷えていた。
 懸命にラディアンの凝視から逃れ、リューズはフレティに目を向けた。フレティの顔は依然青白く、表情は氷のように固まっていたが、双眸だけは熱を帯び、ひたと父を捉えている。
(この人が……あんたのお父さん)
 もし仮に自分の肉親だったらと想像すると、得も言われぬ気分になった。
 似ていない、という先ほどの感想を、リューズは撤回した。か弱げな容貌に惑わされがちだが、フレティは一瞬たりともラディアンの視線から逃げていないのだ。その目は、リューズに昨日の晩の会話を思い出させた──布団をかぶりながらも、吐息混じりのかすれた声ながらも、リューズの全身を射抜いた、目の光の異様な強さ。
 唯一、だが確実に、血縁を感じさせる材料だ。
「来い、フレイザーン。すぐに帰るぞ。詳しい話は城で聞く」
 ラディアンは身を翻し、息子のゆっくりとした足取りに合わせもせずに、後ろで待つ魔術師らしき人物へと歩き出した。数歩進んだところで、思い出したように振り返り、付け加える。
「サーベイ、そのほうも入れ。城に到着したら──分かっているな?」
 アルは軽く唇を噛んだように見えた。そして、小走りになってフレティの隣へ追いつく。
 〈白の公国〉人たちが一所に集まると、魔術師は高らかな詠唱とともに、杖で地面に弧を描いた。青みのない月光のような、温もりのない陽光のような、あやかしの光が閃き、次の瞬間には彼らの姿はかき消えていた。

 隣国からの賓客を、見送るともなく見送ると、不覚なことにリューズはその場にへたり込んだ。案じるアイルの声も、薄い扉一枚隔てた向こうのことのようにぼんやりとしている。
「吾輩の……理想への、手助け……」
 誰に聞かせるつもりもなく呟いた言葉に、反応を示したのはヒストである。
「──お前というやつは、実に、実に考え無しなことをしでかしてくれる」
「すみません」素直に頭を下げると、ヒストはひとつ、軽く息をついた。
「まあ、言ってしまったものはしかたがない。それに、お前が言わなかったとしても、子供を指導することを生業にする者として、私が同じような内容のことを言っていただろうし……どうやら私は怒る筋合いではなさそうだ。しかし、リューズ」
 聞き取りにくい早口で呟くヒストだが、最後の一言分だけ、はっきりとリューズに向けられた。くぼんだ双眸に見据えられ、彼女の背筋に冷や汗がにじむ。
「お前はひとつ、重大な嘘を私についていたな」
「は、はい?」
 引きつった笑いを浮かべても、ヒストの表情は一向に軟化しそうになかった。
「言い訳は聞かん。お前のいとこが〈白の大公子〉殿下だというのは初耳だが、その辺りはどうなのだ」
「え、えっとぉ……先生、話せば長いことなんですけど」
「お前が本当に〈白の大公〉家に連なる者なのか、それともすべて出任せなのか、答えは二つに一つだ」
 ヒストの視線はあくまで容赦がない。先ほど、ラディアンの凝視を受け、これほど恐ろしい人は生まれてこのかた見たことがないとまで思ったリューズだが、その感慨はあっさり翻った。すなわち──やっぱりヒスト先生は最強である、と。
 リューズは腹をくくった。
「ごめんなさい、出任せです。って言うか、フレティと会ったの、つい昨日です」
「そうか、正直でよろしい」ヒストの声は穏やかで、リューズは拍子抜けした。ほっと胸をなで下ろした、その次の瞬間、彼女は自分の認識がまだ甘すぎたことに気づかされた。
 頭頂部を、鈍い痛みが襲った。
「……で済むと思ったら大間違いだ! 大人を騙すとは全くもってけしからん。嘘は私のもっとも厭うところだ。事情がどうあれ許すわけにはいかんと言いたいところだが、まあひとまず話は聞いてやろう。私が納得するに足る説明をしてみなさい」
 どこからどこまでを話してよいやら、リューズは皆目見当がつかなかった。ルームメイトを見やっても、それぞれに首を傾げるばかりで、ヒストの明快でいて難解な問いに答えられる者は誰一人いないように思われた。
 いや、フレティにまつわる事情をただ始めから終いまで説明するだけでよいのなら、話はごく単純なのである。山の麓の〈風の通る町〉から、街道を横切って雨の森へ延びる滴の跡をたどって歩いたこと、木々の枝をかき分けたら少年がうずくまっていたこと、アメリアを追ってほしいという少年の望みに応えてリューズが一人山を下りていったこと……。それ以下は、ヒストの知るとおりだ。筋道立てて話すアイルの脇からリューズが茶々を入れたとしても、説明がすべて終わるまでに朝日が昇りきってしまうなどということはあるまい。
 ここに、「フレティのいとこであるという嘘をつくべき正当性」を求めるから、急にややこしい話になるのだった。
(あたしに訊かれたって、そんなの分かんないってば……)
 もとはと言えば、フレティがつき始めた嘘だ。踊る火の粉を宿したような瞳で、彼はリューズを見つめた。彼の通したかった嘘はどうやら「自分とリューズは将来を考えている」という内容だったようだが、さすがにリューズはそれには頷くことができなかった。代わりに口にしたのが「自分とフレティはいとこである」というものだ。
 あたしって親切すぎたかも、とリューズは思う。何の断りもなく婚約者呼ばわりされることに納得がいかなかったのだとしても、血縁者のふりをしてやる義理はどこにもなかったはずである。
 目、だ。すべては、少年のあの目の光。
 静かに、しかしこちらの内心をすべて暴くように向けられる、およそ年齢に似つかわしくない透徹した瞳……。
(フレティは逃げたがっていた。どこから? おそらくは、宮殿から。では、どうして?)
 何ひとつ自分たちに語ってくれなかったフレティだった。だが、それでもリューズには、重大な打ち明け話を聞かされたように感じられてならなかったのだ。森の中で、名を呼ばわられ見つめられた時に。それに応えて、嘘を重ねてしまった以上、彼女は既に共犯者だった。
 ……この感じを、誰一人にも説明して聞かせるのは許されない裏切りだ。
 リューズが黙秘の方針を定めるのとほぼ同時に、魔法の光が閃いた。
 ようやく頭をもたげ始めた太陽を背に、〈青の魔法学院〉院長エクシス・ベント二世が現れた。彼が両手に捧げ持っていた杖を右手に持ち替えると、ローブの裾がひとたびふわりとはためき、ゆっくりと垂れ下がり、そのままおとなしくなった。
「ヒスト先生がこんなところにいらっしゃることについては、ひとまず置いておきます。私は、どうやら間に合いませんでした」
 こわばった顔で告げる院長に、ヒストは息を呑んだ。
「……では、彼らは」
「オークル殿は捕らえられました。アメリア殿下は、行方不明です」
 ベント二世が陰鬱な声で挙げる固有名詞に、生徒たちは無関心ではいられなかった。切り口に迷っている様子のアイルとリリアンを後目に、リューズが単刀直入に攻める。
「先生、結界晶と〈雨の都〉とアメリア姫って、学院が消えちゃったことと何か関係があるんですか?」
 教師たちは答えないが、その沈黙の不自然さにリューズは得心が行った。
「朝早くに、院長先生とヒスト先生、二人で話してましたよね。学院が消えてく目の前で。あたし、聞いちゃったんです」
 表情の読めないベント二世に対して、ヒストは誰の目からもそうと分かるほどに態度を硬化させた。ごくりと唾を呑み、眉根を寄せ、何かを言いかけては思いとどまったように口を閉ざす。心なしか泳ぐ視線は、院長に伺いを立てているようにも見える。
「あの日の朝……と言えば」ヒストはかすれた声を押し出した。「あの前日に私はお前に宿題を出したはずだな。居眠りの罰としてだ。あれはどうした? 出来上がっているのか? よもやまさか、仕上がらぬうちに早朝の散歩などとしゃれ込んでいたわけではあるまいな、リューズ」
「わ、先生、今それ言うの反則!」
 学院が朝の霧と消えゆく様を目の当たりにして、これで宿題は反古になってくれるだろうかなどと不謹慎な感想を抱いてしまったのが思い出される。また、今ここにやりかけの宿題を持ち込んであるなどという殊勝な精神も、あいにく持ち合わせていないリューズである。
 形勢は一気に彼女の不利に傾いたかに見えた。
「──もう、ここまでにしましょう、ヒスト先生」
 ベント二世が溜め息とともに呟いた。「先生に、本意でない嘘を強要する形になってしまいましたね。面目ありません」
「……院長先生、お待ちください。本当によろしいのですか」
「この一件は私の家に咎があります。学院とは本来無縁のはずのこと。よしんば、看過し隠匿し続けた責を問われたとして、その責は学院の長である私のものです。ヒスト先生については、心配無用です」
「いえ、私が申し上げたいのはそういうことではなく……」食い下がるヒストだが、ベント二世はいかほどの天変地異にも揺るぎそうにない決意を両目に湛えていた。
「少し込み入った話になるが、君たちには勘弁してもらいたい」
 彼はゆっくりと口を開く。
「……結界晶は、その名前の通り、周囲に結界を形成する魔石だ。ひとつは魔法学院に、もうひとつは大公家に、合わせて二つこの国にある──いや、あった、と言わなければならないかな」
「今は、ないんですか?」アイルが声をひそめて尋ねた。
「この夜以来ね」
 この夜、に極端なまでのアクセントをつけて、ベント二世は首肯する。その表情は紙のように平たく、また、石のように硬いものだ。
 動かない表情のままで、彼は言葉を継いだ。
「私の先代の学院長は、大公に対する不敬をはたらいたかどで更迭され、今もなお獄中で狂気の淵にあるはずの人だ。その、先代の学院長とは、私の兄だ」


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