【第2章 捩れてゆく】
第1幕 ひくり、と時折肩が上がるのを除いて、少女の身体は彫像のように動かない。 動かない身体は、赤く腫れ上がった目を断じて晒すまいとするかのように部屋の隅のみに向けられている。しゃくり上げる彼女の声は、サワワワァァァァァァァァァァという単調な音がすべてかき消してゆく。単調な音を生み出しているものは、水、だった。無数の水の粒が、彼女の髪に肩に膝に降りそそいで全身を濡らし続けている。 少女は泣いている。しかし、それを気に留める者は、この部屋には誰一人として無い。 理由はおそろしく単純なものだ。 この部屋はおろか、この建物の中にも周囲にも、人の姿が全く見えない。 一人でうずくまるにはあまりに広すぎる屋敷。そして屋敷を浮世から隔離し、天然の結界としてはたらく濃緑の森。 ここでは涙も、呻き声も、すべてが吸い込まれ、かき消される。 それでも彼女にはそれしか能わない。 少女は総身から涙を滴らせて泣いている。 ──その耳に、不意に侵入する物音はいったい何であるのか。 コツ、コツカツ、コツ、という硬質なその音は、複数の物から発せられているようで、広すぎる屋敷の廊下に不揃いに響く。 それが人間の足音だということに気付いても、彼女には何の感慨も湧かなかった。 たったひとりでいることに慣れすぎた心の表面を、訪問者の足音はただ、うつろに通り過ぎるのみだった。 それよりも、サワワワァァァァァァァァァァと降りしきる注ぎ口のないシャワーの音だけが、彼女の鼓膜を貫通して届いていた。既に彼女の一部とも言うべき音。耳馴染みとなって、なりすぎて麻痺した耳。耳の麻痺は、必然として心の麻痺を導き出す。 ぼんやりと虚空を見つめながら、彼女はごくゆるく形成すひとつの思考を巡らせていた。 (……私は──だぁれ……?) 総身から涙を滴らせた彼女にとって、それはあまりに途方もない問いだった。 ***
くいくい、と少年が青年の上着の裾を引っ張った。それが合図だった。 青年は少年の肩にかける手に力を込め直して、頭上を仰ぎ見た。視界を占める大地の色の、わずかな隙間から光がこぼれ射す。 少年はもうずいぶん前から、こうべを持ち上げてそればかりを眺めている。この場所は少年の大のお気に入りだった。遙か地上を見上げれば、コーヒー色の夜空に無数の星が瞬くかのよう。細かい隙間をぬって彼の瞳にまで到達したささやかな光のかけらは、乱反射して虹の色彩をまき散らす。ずっと見ていたいといつも思うのだ。そう、叶うことならば。 少年は青年よりも長く息が続かない。それを二人は熟知していたが、少年を連れて泳ぐためには集中力が多分に要求されるので、青年の頭からはつい抜け落ちてしまいがちである。もうそろそろ息を継ぎたい、と少年が感じたら合図する。これが、二人が地中を泳ぐ時の決まり事となっていた。 しかし、今日は普段より若干早めに合図をするよう取り決めてある。浮かび上がる地点を充分に考慮しなければならないのだ。できれば誰も通らない路地裏か、ひたすら広大なだけの草むらか……。いずれにせよ、人々の注目を浴びるのは御法度である。 青年は地面すれすれまで浮かび上がり、薄皮一枚隔てた程度の地上の物音に耳を凝らす。人の話し声も馬の蹄音もないことを確認して、おもむろに顔を出した。少年も、青年にしっかり捕まりながらそれに続く。少年が荒く息をつくと、ふわふわと柔らかく波打った栗色の髪から、小さな土の粒がいくつかこぼれた。 「ほら、フレティ、せーので上がるぞ」 言って、青年は大地に手をかける。その掌を、もう大地は柔らかく包み込みはしなかった。青年に導かれ、一足先にフレティと呼ばれた少年は堅く締まった土の地面を踏みしめた。彼自身には地を泳ぐ能力はないので、生き埋めになる危険性がある。それを避けるためだった。 フレティは、青年にちらりと目をやり無言で意志を伝えると、そのまま背を向けて、軽く脚を引きずりながら一軒の建物の陰へと歩く。壁のところどころ朽ちたそのあばら屋に、住人はないようだった──このような建物に住む者がいるなど、もとよりフレティの感覚では想像もつかないことだったが。 先ほどフレティがやったよりもずっと軽やかに、青年は空中にひらりと身を舞わせ、空と大地の狭間の住人となった。かけていたゴーグルを額にどかしながら足早にフレティの元へ歩み寄り、往来から彼をかばうようにその隣に並ぶ。これでようやく人心地、といったところか。 「……暑いな」 日焼けなどというものとはおよそ縁遠い額に薄くにじんだ汗を、フレティは指先でぬぐった。ことさら、すぐそばに立つ青年に呼びかけた訳でもない。幼い頃から実の兄弟よりも慣れ親しんできたこの青年が多少の暑さはものともしない体質であることも、またわずかばかりの間呼吸を止めたり、目と鼻の先ほどの距離を小走りで走った程度でオーバーワークを訴えてしまうほどに自分の肉体が脆弱なものであることも、フレティは充分すぎるほどに知っている。 ──とは言え、今日の気温が季節はずれの高さであることも、また事実ではあったのだが。 昼下がり。一日のうち、気温が最も高く昇りつめるひととき。 道草を食っているほどの余裕は、なかった。 「じゃあ、ここまでだよ、アル。ありがとう」 「フレティ──」 言い差してアルは一瞬言葉を止めた。言いたいことは一息に。口にするからには偽りは交えない。そんなアルの常からすれば、多少不自然な間と言える。アルがこのように言い淀む話題は、少なくとも二人の間においてはそれほど多くはなかった。従って、フレティには、おのずと知れてしまう。 たしなめるように、あるいは困惑したようにこうべを振るフレティを形の上で無視し、アルは言葉を継いだ。 「こんなこと言うのは野暮だとは分かってるんだが……お前ひとりで平気か?」 「本当に野暮だな」 苦笑が浮かぶ。充分に角の取れた苦笑ではあったが。 「若い男女の逢瀬にまでついてくるような奴は、馬車に轢かれてつぶされても文句は言えないのだぞ」 「さすがに、馬車には敵わねぇやな。俺でも」 アルの笑い声が必ずしも心の底からのものではないことを、フレティは察して余りあった。だが、今更、というものである。フレティは滅多にこねない駄々をこね、アルはそれに荷担し、既にして、大公都よりずいぶん離れた場所まで来てしまった。アルの地理的・時間的感覚からすれば、このあたりは国境近くとのことだ。 「……ま、頑張って来いや、若人よ」 言って、十五の少年だということを考えに入れても明らかに薄すぎるフレティの肩を少し強めに叩く。 「お前ひとりじゃどうにもならんことが起きたら、俺を呼べよ」 「ああ。分かっている」 「できれば、手遅れにならんうちにな。何せお前は見栄っ張りだ。自覚してるのかしてないのかは知らんが」 「……忠告、痛み入るよ」 降参のポーズを示すしかないフレティである。 「何かあったら、彼女に託すから」 懐を軽くつつく。服の中で泳いでしまうほど華奢なフレティの身体のうちで、不自然に盛り上がったそこから、一羽の鷹が現れた。彼が自分の顔の高さぐらいまでかざした腕に、その猛禽はふぁさ、と乗った。 「この色だ、この気配だ、このにおいだ。──分かっているね、カティア?」 そのままフレティが腕を前に差し伸べると、賢い鷹は暴れるでも威嚇するでもなく、目の前のアルの姿に眼をやった。一方、アルのほうは未だに慣れずにいる。カティアと名付けられたこの雌の鷹がたいへんよく躾けられていることは知っていながら、鋭いかぎ爪と見開かれた金の眼に、本能的な警戒心をあらわにしてしまうのが常だった。 「いざとなったら、呼ぶんだぞ」 アルは念を押すように言った。「必ずだ。いいな?」 「ああ。必ずな」 頷いてみせる。しつこいほどに繰り返される共犯者の言葉に、苛立ちは覚えなかった。覚えたとするならば、それは、兄とも親友とも思う青年に過剰な気遣いを強いてしまう、自分自身の不甲斐なさに対してであったろう。 「だが、心配には及ばないよ。行って、見て、帰ってくるだけだ。お前の手をこれ以上煩わすことは起こらない。心配するな」 その台詞が誰を納得させる効果も持たないことは分かっていたのだが。 「もともとは私の我が儘だ。むしろ付き合わせてしまって申し訳ないな」 「なぁに、久々に泳いでみたかっただけさ。気にすんな」 アルは親指を立て、フレティはほのかに笑った。十五の少年の顔に常駐させるにはあまり似つかわしくない、折れ曲がった笑みだった。 フレティは辺りを見回し、ここに自分たち二人きりであることを再度確認した。早いところ行かなければならない。この寂れきった国境の村に、いつ人が通るとも知れないのだ。 少年の背中が一瞬、光をはらんで盛り上がった。それはすぐにしぼみ、元の痩せた背中に戻ったが、光だけは鱗粉のように、彼の肩胛骨のあたりを包み込んで残留している。フレティの身体がこころもち浮き始めた。時間がない。 「じゃあ、私は行くよ。すまないがまた後で頼む」 「おう、任せとけ」 ふぁさ、と、見えない翼が聞こえない羽音をたてた。そしてみるみるうちにフレティの軽い身体は空に吸い込まれてゆく……。 ***
翼の少年が単身飛び立ち、地を泳ぐ青年がそれを見送っている頃。 一人の少女は、未だ絶えることなく総身から涙をしたたらせていた。廊下を踏みしめる不揃いな足音が物寂しいリバーブを伴って響いても、それが彼女の心を浮き立たせる何らの助けにもなりはしなかった。 足音は、足音。それだけだ。たとえばおそろしく殺風景なこの部屋における数少ない備品である、寝台や小さな円卓。あるいは壁や床にうっすらと敷き始めた苔。存在はするが、意味は持たない。何故ならば、意味などというものはそれを見る主体が能動的に解釈を加えることによって、初めてそれに宿るものだから。 足音は、足音。それ以外に、何の意味も持ちはしない。 (──さ……む、い……さむい……寒い……──) くせのない漆黒の髪はじっとりと水を含み、少女の顔に首筋にまとわりついている。抜けるように白い肌は、かつては十代半ばの少女らしくつやつやとした張りを備えていたのだろうが、シャワーのごとき雨、もしくは雨のごとき涙にさらされ続けることでふやけ切り、今や内臓めいた皺すら刻んでいる。そして、快晴の空よりもまだ澄んでいただろう青い二つの瞳は、視界のどこにも焦点を結ぶことはない。 ──ノックの返事を待たずに入り込んできた二人の客に対しても、それは同様だった。 「ご気分はいかがでございますか」 形式ばかりの挨拶。彼らの声は少女には届かず、少女が仮に何事かを訴えたとして彼らはそれに耳を貸すこともないだろう。儀式なのだ、これは──二週間に一度のルーティン・ワーク。 少女は緩慢に振り返り、うつろな目を訪問者に向けた。だが、それだけだった。訪問者は勝手知ったる様子で、円卓の上に乗った箱を撤去し、引き替えに、今し方持ってきたばかりの箱を置く。どれほど白い闇の中をたゆたうようにして日々を過ごしている彼女でも、生命維持のために食事は不可欠であるから。 大きな溜め息とともに、訪問者の一方は首筋を掌でぬぐった。もう一方は、既に詰め襟のボタンをひとつ外している。 森の中であるが故に、初夏を思わせる強力な太陽の光は程良く遮られ、本来ならば心地よい涼しさに一息つける環境の筈だった。他の場所に比して、ここの湿気は異常である。しかし、うつろな眼差しの少女にあらためて目をやれば、この虚空を握れば水が滴りそうなほどの湿気にも、充分道理がある。 ──自分自身の周りのごく狭い範囲に、継続的に雨を降らせる少女。 この雨が上がっているところを、彼らは一度たりと見たことがない。 当初は、この部屋の寝台にも、きちんと布団が敷かれていたのだ。しかし、昼夜問わず降りしきる雨によって、ことごとくカビの一大生息地となってしまった。ある日、定め通りにここへ来た使いの者が、鼻を突くほどの青臭さに我慢がならず布団を撤去して以来、寝台の上にはわらが敷き詰められている。 あわれをもよおさずにはいられない光景である。しかし、彼らはどこまでも宮仕えの身であった。 二週間に一度のルーティン・ワークは形式ばかりの挨拶で始まり、形式ばかりの挨拶で終わるのである。 「お騒がせいたしました、〈姫〉」──と。 二週間に一度の定例報告は、そのまま、〈青の大公〉ゼルパールに課せられる二週間に一度の義務である。彼は変わり映えのない報告内容をひとまず耳に入れ、頭の中を通過させて、咀嚼することなしにもう一方の耳から追い出す。ならばいっそのこと、取りやめてしまえばいいのだろうが、報告者が宮仕えの身であり、報告者に件の任務を命じたのが大公その人である以上、避けて通ることはできない。 〈姫〉のお召し上がり残しの食料を撤去し、新品の保存食と差し替えいたしました。──左様か。して、雨は?──未だ止む気配がございません。何度となく交わされるやりとり。そう、何度となく! この退屈かつ憂鬱なやりとりが実際に何度行われてきたかを数え上げる気は到底なかった。定期なのだから、単純な計算ですぐに答えは得られるに違いないのだが、ことさらにそうする必然性も見出せずにいる。 用件が済むや否や、大公は報告者に退出を命じた。命じられるままにそそくさと立ち去ってゆく報告者を見届けてから、大公は玉座から立ち上がった。 頬に刻まれるのは自嘲の笑み、唇から漏れるのは有るか無きかの吐息。 あらゆる常緑樹のうち、もっとも堅固なことを誇る樹木から彫り出された椅子は、そのまま公家への賛歌だった。背もたれには日、月、星の意匠が極めて精緻なわざで刻され、それらの輝くべき場所に黄金が嵌め込まれている。肘掛けが模しているのは二頭の天馬の頭部。白貂の毛皮が、大公の身体に密接する部分を入念に選んであてがってある。 永遠に磐石たれといつの時代もうたわれる君の治世、その象徴たる椅子である。これを遠巻きに見やる時、彼の瞳はいつもどこか他人事のような醒めた色合いを帯びる。 玉座の背後の壁に掛けられた、公家に代々伝わる杖は、公立魔法学院の初代院長の入魂の作とも、あるいはまぼろしの魔法王国期の遺物とさえもいわれている。こちらは対照的に、彼の身体に流れる赤いものを火砕流のごとくさせる。 ともすれば、この杖に手を掛けてしまいそうになるのだ。そうして、乱暴につかんで高々と頭の上まで振りかぶる自分の姿を夢想する。単なる夢想で済ませられるようになったのは、ひとえに彼が年齢を重ねたからに他ならない。 実際、もっと若かった頃はその先まで実行に移したことがあった。これを手に取り、振りかぶり、叩きつけるように床に落としたことが。よほど仕事の素晴らしい杖らしく、折れるどころかひびひとつ入らず、ただ、カラコロと乾いた音を立てて足元に転がるのみだったことを覚えている。本当は、叩きつけるついでに真っ二つにへし折ってやろうかと目論んでいたのだが、その音を聞いた途端に心の底から虚しくなってやめたのだった。 ──昨日のことのように覚えている。 魔法の力こそ大公家の正当性。このあたりでは、片田舎の五つか六つの子供でも知っている、半ば伝説と化して人々の間に浸透していることがらである。 〈青の公国〉の世継ぎ姫、〈神の嬰児《みどりご》〉とまで呼ばれ賞賛される類い希なる魔術師アメリア、彼女の持つ力が雨を司るものであることも、また。 (アメリア──) 彼女こそは、〈青の大公〉たる彼の愛すべき、かつ、うとむべき存在であるに相違ない。アメリア。私の一の娘。 (いつから道を外れてしまったのだ。なにゆえに捩れてしまったのだ) (アメリアよ。私の光明であり影よ) 声なき問いかけに対するいらえはない。否、跳ね返された問いかけがそのままいらえだった。いつから道を外れてしまったのだ、なにゆえに捩れてしまったのだ──私は、アメリアを映し出す歪んだ鏡は。 歪んだ鏡は、歪んだ像を結び、歪んだ世界を具現化する。歪みは忌むべき代物であった。 「……終わらせなければならない」 口に出して、ゼルパールは自分にそう命じた。おわらせなければならない。 だから、依頼したのだ。一人の市井の魔術師に。そしてその者が、廷臣に連れられて今まさにここへやって来ようとしていることを、彼は扉の向こうの気配から窺い知った。彼は再び玉座に身を預けてここ〈瑠璃宮〉のあるじとしての顔を作り、そうすることで図らずも、いっとき自分が、縋れるものもない名ばかりの大公子であった頃の顔に戻っていたことを悟った。 「──大公、お目通り叶いたく」 新たなるおとないである。大公は、承諾した。 「許す。入るがよい」 扉が開き、臣がうやうやしい一礼とともに姿を見せた。大公は鷹揚に頷き、 「面を上げよ。務め、大儀であった」 「働きに余るねぎらいのお言葉、恐悦至極にございます。ただいま、〈鐘の街〉におきましてはゲッハル伯が魔法学院の説得を終えた模様。こちらも直に参上つかまつりましょう」 「それは待ち遠しきことよ」 少しだけ声を落として、大公は言葉を継いだ。 「不正なる生は終わらなければならぬ。過ちは正されなければならぬ。して──その者が──あそこで待たせてあるのがそうか、ディヴェル伯」 開け放たれた扉の入口で、そわそわと落ちつかなげに身動きしている男を見やる。ディヴェルは「仰せの通りです」と答え、振り返り、目顔で促した。男は衛士に連れられて、ディヴェルの脇に並んだ。 臣下は掌で男を指し示した。「この者が件の人物にございます、大公」 「クラウス・オークルと申します。お初にお目にかかります」 客人である男に、緊張の色は伺えなかった。この謁見の間においても、天井に壁面に絨毯に好奇心むき出しの視線を走らせている。不敵なやつよ、と大公は思った。おそらくは、あわよくば登用されようなどとは小指の先ほども思っておらず、ただ一攫千金を狙って来たのであろう……。 衛士がクラウスを小突くと、さすがに視線は動かなくなった。ディヴェルはガラスに入ったひびのような目を光らせて、報告を続ける。 「物に流れる時間を巻き戻す力を持つと申しております。いっときの効果ではありますれど、それで充分でございましょう。力そのものの大きさはともかく、何せ他に類を見ない術。いやはや市井の衆とはいえ、侮ることはならないという好例でございますな」 わずかに大公は眉をひそめたが、それも一瞬のことだった。おそらく自分と同じぐらいの年齢であるのだろうが、どこか少年じみた印象を残す客に、じっと視線を注ぐ。しばらくそのまま押し黙っていたが、やがておもむろに口を開いた。 「左様か。それは心強い」 「……あの、少々いいですか」 授業中の生徒がそうするように、クラウスは手を挙げた。 「これ、平民! おぬしは余計な口を挟むでない。大公の御前であるぞ」ディヴェルが厳しく叱責したが、大公はわずかに目を見開いたのち、臣下を手で押しとどめた。 「よい。……オークルとやら、申してみるのだ」 「あ、はい。ええと……単純な質問なんですけど今まで聞かされてなかったんですが、俺は一体何に術をかければよろしいんでしょうか?」 「それを知らずにいると、何か不都合でもあるのかね?」 とディヴェル。 「不都合と言うか……。あまり大きな物に術をかければ、それだけ持続しないもので」 クラウスの言葉に、大公と臣下は顔を見合わせた。視線のやりとりは数秒続き、やがて大公のほうが頷いた。それを受けて、ディヴェルが答える。 「──結界晶、だ」
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