【第1章 その理由を】
第2幕 寮の用務員が、半鐘のような勢いで生徒に全校集会を知らせたのは、朝日が街の隅々にまで染み渡った時分だ。 学院中のすべての人間が校庭に集うと、学院長ベント二世は居並ぶ教官たちと比べてもひときわ動揺した様子で、壇上に上がった。その姿は、もともと痩身で、際立って背の高いわけでもない院長の身体をますます小さく見せる。 「えー……諸君を一堂に集めて、このような報告をせねばならないことを……大変遺憾に思う……。ああ、一体どうしたことなのか、私にも何とも分かりようがないわけで……いやはや全く何ともはや……この事態を何と言ったらよいものか……。おお、神よ──……」 リューズたちが入学するほんの数年前に学院長に就任したというベント二世は、勤勉で温厚、すべての教官はおろか生徒にさえ物腰が丁寧と、なかなかに評判が芳しい。 ──ただひとつ、極度の上がり症であることを除けば。 「お祈りはいいですから院長先生、さあ、本題をおっしゃって下さいませんと」 ヒストがベント二世の背中から声をかける。 「あ、ああ……そのー……つまり、我が校は、本日明け方……しょ、消滅という事態に、あ、相成った……。おお、何と言うこと──」 そこまで言うと、ベント二世はおもむろに失神した。 もともと話し上手とはお世辞にも言い難い院長だが、今日に至ってはもはや「緊張で固まっている」という域をはるかに越えている。 失神したベント二世の後は、主任教官・ヒストが引き継いだ。 「……院長先生のおっしゃる通り、この学院は今朝方消滅してしまった。見ての通りだ──信じがたいことだが」 どうしてですか、という質問が口々に飛び交う。それは全く当然のことであろう。だがそんな問いを発してみたところで、誰ひとりそれに答え得る者はないこともまた、誰もが分かっていた。それでも問いかけずにはいられないのだ。 「我々が全力を挙げて原因を究明する。それまではとにかく、生徒諸君は寮から引き上げ、続く情報を待って欲しい」 しん、と静まり返る。すべての音が消えたかに思えた。生徒たちの質問もひそひそ声も卒倒した院長を気づかう教官同士の囁きも小鳥の鳴き交わす声すらも、すべて──。 「〈雨の都〉って、リューズ、聞いたことはあるよね?」 部屋に戻るが早いか、アイルは机の引き出しの中からノートとペンを引っ張り出してきた。 「聞いたことぐらいはね」 「うん、それでね、雨の都には大公様の別荘があるんだけど、大公様にはたったひとり正妃様との子供がいて、それがアメリア姫」 全校集会が終わり、生徒達はめいめいの寮室へ戻っていった。帰省の支度のためである。 部屋までの道すがら、リューズはよく出来る友人のアイルに、自分の見聞きしたことをありったけ打ち明けた。 アメリア姫。ケッカイショウ。雨の都……。あまりに断片的すぎて意味不明だったので、どこをどうかいつまんで説明すればいいのか分からなかったが、言わないよりはましだと思える。それに物知りなアイルのこと、ひょっとしたら自分の知らないことでも何か心当たりがあるかも知れないではないか。──もっとも、部屋が同じであるという都合上、アイルだけでなくリリアンにも説明は聞こえているのだが。 アイルは再びノートに目を落とした。授業中に語られる、教官のどんな些細な一言も、漏らすことなく記されている優秀なノートである。 「アメリア姫は、〈神の嬰児《みどりご》〉って呼ばれてるわ。〈神の嬰児〉なんて呼ばれる魔法使いは滅多にいないのよ。少なくとも魔法王国期なみの魔法使いじゃなきゃ、名前が重すぎて」 ──アメリア姫は順当に行けば次代女大公で、類い稀なほどの力を秘めた魔法使いでもあるともっぱらの評判である。非常に広い範囲にわたって、雨を降らせることができるのだ。元来さほど雨の多くない気候帯だが、この国だけは例外だった。周囲の諸国と比べて、水に格段に恵まれている。それもこれもすべてアメリア姫のおかげだということで、本人の天真爛漫な笑顔も手伝ってか、国民からの人気は非常に高い。 だが……。 「最近、めっきり顔を見せなくなったのよね。ご病気だっていう話だから雨の都の別荘で静養してる可能性はありそうだけど、それにしたってちょっと長すぎるんじゃないかと思うのよ」 「よほど大きな病気なのかな……」 呟くと同時に、ふとリューズは思い出す。ヒスト先生たちは確か、何と言っていた? 「アメリア姫……を、処分……」 「リューズ!?」 アイルはぎょっとしたような声を上げた。無関係を決め込んでいたリリアンすらもそれは同様だ。四本の視線に射貫かれて、リューズはしどろもどろで弁解にかかる。 「や、あたしだって訳分かんないよう。ヒスト先生か院長先生か、とにかくそのどっちかが、そんなこと言ってた……ような気がしただけ! ほんと、途切れ途切れにしか聞こえなかったんだからあ!」 「ね、リューズ、それって……『アメリア姫を処分』って、言ってたの?」 アメリア姫を処分、の部分だけ、思いきり声を潜めて、アイルは尋ねた。 「……分かんない。アメリア姫と処分は別の話題かもだし、だいたいアメリア姫の、『何』が話題になってたのかもはっきり聞こえなかったんだよ」 誰からともなく、三人は黙り込んだ。やり過ごしにくい沈黙を、無理やり破ったのはアイルだった。 「ねえ、でも、〈結界晶〉って一体何に使うつもり……」 「タイム。そのケッカイショウって何?」 「結界を作る綺麗な石よ。この学院にあるってことは知ってるんだけど、それをどうするって話なのか……」 「ああもう、話にならんわ!」 リューズはいち早く切れた。こんなところで悶々と考えていても、分からないものは分からないのだ。ここまでが、走りながら考えるタイプであるリューズの、我慢の限界だった。 「雨の都に行こう! よし、決まった!」 「はぁ? 何言ってんのよリューズ」 「今、我々の前に大いなる謎が立ちふさがっている。それを追及しないのは、謎に対してあまりにも失礼だとは思わないかい? なあアイル君」 アイルは天井を仰いだ。リューズの大好きな冒険物語の主人公の台詞のもじりだ。これが出てしまうともはや手遅れであることを、アイルは知りすぎるほど知っていた。それでも一応、ささやかながらブレーキはかけてみる。 「だってリューズ、先生たちがあたしたちに黙ってることなのよ? 余計な首突っ込んだら怒られちゃうわよ……」 「ちっちっちっ、先生は『寮から引き上げろ』って言ったんであって、家にまっすぐ帰れとは言ってないんだよ。だから平気平気」 まったく、都合のいい話だけは、よく覚えているものである。肩をがっくり落として、アイルは溜め息をついた。 「……分かった、あたしも一緒に行くよ……」 「どうしても嫌だったら、無理して付き合わなくていいんだよ」 「その台詞聞いたら余計に行かなきゃだわよ。リューズを野に放つなんて無謀すぎるわ……」 「げっ、ひどいなぁ」 ──軽口を叩き合いながらも、手早くリューズは帰り支度を終えてしまう。 アイルはと言えば、ぱんぱんに膨れ上がった旅行カバンを目の前に、途方に暮れたような表情を浮かべている。ここから自宅まで歩いてこのカバンを持ち帰るのは、どう見ても無理がありそうだ。 「アイル、それ一体、何が入ってるわけ?」 「え? 勉強関係全部だよ。教科書とか辞書とか今まで取ってきたノートとか」 「……教科書って、そんなにたくさんあったっけ?」 リューズのカバンはと言えば、着替えとハンカチと財布とお気に入りの読み物のみ。アイルが躍起になって詰め込んだようなものは実に潔く諦め、「また戻ってこられる日を心待ちにして、あえて勉強用具はここに残しておくよ」などとうそぶく有り様だ。 しかし、アイルにとってみれば、果たしてどの教科書を置いて行くべきかというのは大いなる悩みどころである。ぎゅう詰めになった書物で破れんばかりのカバンを見つめながら、アイルはリューズに話しかけているようでも、独り言のようでもある口調で呟いた。 「だって、あたし、この学院に魔法を勉強するために来たんだもの……。それが何でいきなり消えたりなんかしちゃったのか、知る権利ぐらいあると思うわ。あたし達で何とか出来ることなら、何とかしなくちゃ。早く再開してくれなきゃ困るのよね……」 傍らで、リューズは寮室の窓から顔を出して、外をぼんやりと眺める。今日はまったくもって、散歩日和だ。跳ぶ身体に受ける風は、さぞや温かく心地よいことだろう。 振り返り、なかなか荷物のまとまらないアイルにリューズは呼びかけた。 「ね、思い切ってみんな置いてっちゃえ! そしたら即効解決だよ」 「リューズとは違うから、あたし……」 「げっ。何かとてつもない皮肉を感じたよ今の台詞」 大袈裟にのけぞるリューズに、冷ややかな声がかかった。 「──やかましいわね。支度終わったなら、静かに待ってたらどうなのよ」 楽しい学院生活に、勉強以外で難点を挙げるとするなら、その筆頭は「リリアノール・ライアンと同室である」、これをおいて他にない。少なくともリューズにとっては。 「あんた、まだいたの? とっくにパパンかママンとでも一緒に帰ってるかと思ったよ」 休暇がおとずれるごとに、リリアンが不思議な貝のような道具で家族と連絡をとり、自家用馬車で迎えに来てもらっているのを、リューズもアイルも目にしている。あの通信器、名前だけならば知っている。〈貝話〉だ。だが高い……。 「あんた、自分ちに連絡取ったんでしょ。もうそろそろお迎えの馬車が来るんじゃないの? それとも、その馬車であたし達を雨の都まで送ってくれるわけ?」 「まさか、だわよ。あなたなんかをあたくしの家の馬車に乗せてあげるもんですか」 リリアンの瞳が不穏な光を帯びた。激しく睨み合う二人は、ごくごく小さい溜め息とともに眉を寄せたアイルの姿になど気付かない。 「じゃあ用無しだよ。オジョーサマは外にでも出て、おとなしくお迎えを待ってればいいじゃん」 「お迎えなんて来ないわ!」 彼女の目に一瞬ひらめいた火花は、弾ける寸前に力なくかき消えた。身構えていたリューズは、構えを解くきっかけを何となく見失ってしまい、そのままの体勢でリリアンを見つめる。 「連絡していないもの、あたくし。家になんか、帰らないわ。あなたたち、雨の都に学院が消えた理由を突き止めに行くんでしょ。それならあたくしも同じ目的よ」 「学院も消えたことだし、せっかくあんたと離れ離れになれると思ってたのにさぁ……」 「消えたことをそうやって喜んでいるのなら、あなたこそまっすぐ家にお帰りなさいな。あたくしは、魔法学院が一刻も早く元に戻ることを望んでいるのよ、心の底から」 心の底から、に異様なほどアクセントをつけて、リリアンは言い放った。 「だってあたくし、勉強するためにここに来たんですもの。出来ることならここで一人ででも、勉強していたいぐらいだわ」 嘘くせー、とリューズは独り言のように呟いた。聞き咎めたリリアンの双眸に、またもや光が宿る。それがリューズ目がけて飛び、弾け、仕返しとばかりにリューズがリリアンに掴みかかれば取っ組み合いの大喧嘩は必至──であるかに見えた。 アイルの叫び声が、あと一瞬遅かったならば。 「もう、二人とも、いい加減にしてよ!」 赤いお下げを振り乱して、アイルは睨み合う二人の間に割って入った。「学院がなくなって大騒ぎだって言うのに、くだらないことで喧嘩しないの!」 唐突に、沈黙が張りつめた。そしてそれははかなく破れた。 「リリアンさぁ、ひょっとして、帰りたくないんじゃないの?」 「────」 リューズの指摘に、リリアンは一瞬ではあるが明らかにたじろいだ。 「……どうしてそう思うの?」 「あんたが心の底から学院復活してほしがるよりは、そのほうが自然だよ。恥ずかしい成績だから親に合わせる顔がない、とかあり得そうじゃない?」 「あり得ないわよ!」 ヒステリックな甲高い声とともに、リリアンの視線の先で小さな火花が起こった。リューズは素早くよけた。何せ、触れてしまうとしびれるのだ。別段身体に大きな危害を及ぼすものでもないが、回避できるならするに越したことはない。 「大体ね、リューズ、あなたにだけは言われたくないわ。いつでもどこでも熟睡できて、サバイバルには向いているかも知れないけど、学問をするのにはちょっとばかり、適してないんじゃなくて?」 「あんたに学問のことで云々されるなんて、こっちこそ心外だよ。言っちゃ難だけど、リリアン、あたしと大して成績変わんないじゃん」 「一緒にしないで、リューズ! この間のテストでは、あたくしの方が二点多かったわ!」 「あははっ、おんなじおんなじ。ね、成績振るわないもん同士、同病相憐れみ合いつつアイルを師と仰ごうじゃないか」 「黙りなさいよ!!」 リューズを睨みつける瞳から、さっきのものよりもいくぶん大きな火花が飛んだ。そして不覚なことに、それはリューズの頬にぶつかって弾けた。咄嗟によけることができなかったのだ。 ──リリアンの怒鳴り声が微かに震えていたので。 リューズはしびれる頬をさするのも忘れて、我が耳を疑うようにリリアンを見返したが、彼女はつんと横を向いてしまった。 言葉を失った三人の耳に、慌ただしい足音が届いた。 部屋の外からである。足音とともに、寮のすべての扉をノックする音も響く。用務員が見回りに来たのだ。 「全生徒は直ちに帰宅のこと、全生徒は直ちに帰宅のこと! 施錠するから、各自速やかに帰り支度をすませて、部屋から引き上げのこと!」 三人は顔を見合わせた。何はともあれ、出ていくしかない。 いささか心残りは多いが、アイルはカバンを閉めた。持ち上げてみると、重さとしては手頃だ。リューズの方は、至って軽やかに、ちょっと友達の家に遊びに行くぐらいの分量の荷物をひょいと肩に担ぎ上げる。そして、リリアンも。 ──準備完了だ。 リューズは扉を開けた。
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