『休まない翼』 第一部

紅塵、風に踊りて -2-


 宝石をちりばめたような、という陳腐な形容こそがまさに相応しい、満天の星空。
 それに加えて、この谷のもうひとつのシンボルである、燃え続ける炎、コスモキャンドルの揺らめき。灼熱の鏡面 に、誰もが一切の虚飾をはぎ取った自分の姿を見るという。焚き火が目に染みるのは、そのせいでもあるのだろうか。自分の弱さ。幼さ。この胸の焦げつき――性懲りもなさ。どれも、正面 から受け止めるより他にない事実だ。
 見つめ続けるうち、ささくれすぎた彼の心も、不思議と落ち着きを取り戻し始めていた。やっぱりオイラはコスモキャニオンのナナキだ、とつくづく思う。この聖火に、何度心洗われてきたことか。

「――見るのじゃ、ナナキ。この星空を」
 謡うようにブーゲンハーゲンは言った。
「世界中の星空がこうであったなら、わしらは空など意識せんじゃろう。汚れた空、毒の海、枯れた大地……そんな中でこそ、みな『自然』を意識する。覚知に交わるは証則にあらず、じゃな」
「……そうだね」
 砂漠に降り注ぐ雨のように、老爺の言葉は彼の心に静かに染みた。
 この――星空。紺青の海。緑萌ゆる大地。
 大宇宙に浮かぶ、奇跡の星を守るため、彼女はひとり行ってしまった。
(……エアリス)
 二本脚の女性だけはやめておこうと、あれほど心に決めたのに。自分の性懲りもなさに、思わず苦笑がこみ上げる。かつてこの谷にいた、髪の長い少女のことを、彼は思い起こした。
 長い茶の髪を後ろでひとつに結った少女。見かけを裏切るおてんばで、植物や虫たちに平気で話しかけてしまう、そんなつかみどころのない少女が、今思えば彼の初恋の相手だった。二十年という歳月は、彼が思うより遥かに大きな変化を、人間に与える。それを悟るには、当時の彼はあまりに幼すぎた。
(二本脚だけは、やめておくんだな)
 そう、自分に言い聞かせる。当時から二十年を経て、遠くの町で子沢山の母親となった彼女と、人間の発育段階で言えばまだ十五、六歳の彼。諦めるより他に、どうする術があるだろう。
 エアリスを初めて見たあの時、彼の頭の中で警鐘が鳴り響いた。醸す雰囲気が、谷に住んでいた少女とあまりに似通 っていたので。彼の記憶の片隅は、何度となく彼に注意を呼びかけた。けれど実際は、似ていると気付いた時点で既に手遅れだったのだ。
 さらに、旅の中で、エアリスがかの少女とは似て非なる存在であるという、当たり前の認識にたどり着いたのちも、警鐘は鳴り止まなかった。
(……ねぇ、レッド)
 エアリスはいつも、彼の鼻先をなでながら話をする。出会って間もない頃から、最後に言葉を交わした日まで変わらずに。この日も彼女は彼の隣に座り込み、いつものようにその鼻先をなでた。
(私たち、もっと楽に生きなきゃダメね)
 私たち、という言葉が主に、旅のリーダーたる青年を指し示していることに、彼は気付いていた。
(手抜きする……ってのとは違うんだ。でもね、自分を決していじめないで、愛して、受け容れて。軽やかに生きなきゃね)
 軽やかに――そう、この星をあまねく巡る風のように。
 まるで仲間たちに手本を示すかのように、彼女は風になった。誰よりも重い運命を背負いながら、誰よりも早くライフストリームの彼方へ飛び立って行ってしまった。
 ――ああ、同じだ。
 湧き上がる溜め息を飲み込むことができない。同じことの繰り返しじゃないか。オイラの好きな人たちは、みんなオイラの横を大急ぎで駆け抜けていく。オイラはいつも置いてきぼり。
 だから二本脚はきらいだ。これだから二本脚は……。
「……じっちゃん」
 ブーゲンハーゲンは、彼が物心つくかつかないかの頃から全く変わらない、慈しみに溢れた眼差しを向けた。
「何じゃ、ナナキ?」
「あのさ……オイラの、ここ」
 自分の鼻先を前脚で指し示す。その後一瞬口ごもり、恥ずかしげに彼は言葉を継いだ。
「なでてくれないかな……? いつもそうやってくれてた人がいたんだ。むずがゆかったし、何だか子供扱いされてるみたいで悔しかったけど、でもオイラ、ホントは大好きだったよ」
 大好きだったのは、鼻先のむずがゆさだけなのか、それとも。
 ブーゲンハーゲンは、ホーホーホウ、と笑い、彼の望みを叶えてやった。子供が子供らしくあることはとても大切なことだ。長い間、それが叶わずに来た彼だけに、余計。
「休むがいい、ナナキ」
 落ち着かない様子で身をすぼませる彼に、ブーゲンハーゲンは頷いてみせた。
「来たるべき戦いのために、今日はゆっくり休むのじゃ。甘えたいだけ甘えるがいい……」
 老爺の言葉は、子守歌のように穏やかに彼の耳に染みとおってゆく。
 砂漠を渡る乾いた風と、ちろちろと揺れる火影、鼻先をくすぐる骨張った指の感触が、ゆっくりと彼を眠りへ誘っていった。

***


(…………キ……)
(………ナ…キ……)
(……お休み、ナナキ……)
 白い闇の中におぼろげに響く声が、薄く霞みがかった意識を揺すぶる。
(……とー……ちゃん……?)
(……いい夢、見るんだぞ)
 囁いて、そっと枕元から去ってゆく赤い影――。
 彼はこの状況に覚えがあった。この後自分は再び眠りに引き込まれ、やがて鬨の声と松明のはぜる音と村人たちの尋常でない狂乱に揺すぶり起こされ――そして、知ったのだ。母がギ族相手に苦戦していることと、父の行方が知れないことを。
 彼は幼いが故にその様子を見守ることしか許されず、さらに、幼いがゆえに自分が戦力外であるという事実を認めることができなかった。追いつめられる母をかばうために飛び出た彼を、母はかばって戦う羽目となった。子を背にかばう母は強く、鬼神さながらの活躍をみせた。だが限界は訪れた。ギ族の司令官と刺し違えて倒れたのである。
(とーちゃん、かーちゃんが死んじゃうよ。早く来てよ)
 彼の祈りも空しく、父は姿を見せなかった。そしてその後あらゆる意味においても、父が谷に戻ってくることはなかった。亡骸すら残さなかった父を、彼は逃げ隠れた卑怯者と思い込んだ。
 それが大きな誤解であったということを、今の彼は知っている。
 あの時、自分の枕元から去りゆく父を、もし呼び止めることができたなら。運命は変えられないのだろう。けれど、せめて、孤独な戦いに赴く父の心を……。
 一路、地下の洞窟へ向かう父の背中を、彼は懸命に追いかけた。追いついたのは、現在は開かずの扉となっている、例の入り口の前だった。
(父さん、待って)
 父セトは驚いたように振り返り、自分を呼び止めた存在を上から下まで眺め尽くした。
(……ナナキ、なのか……?)
 確信と疑念とがないまぜになった、父の声だった。自分がよく知る息子より一回り大きな、しかし自分よりは一回り小さな体躯。少年から大人に脱皮する狭間の声。これは、ナナキなのか。
(父さん、行くの?)
(ああ。すぐに帰ってくる。お前は村で待っていろ)
(――嘘だ!)
 父の揺るぎない笑顔が哀しい。
(父さん、刺し違えてでもギ族やっつけるつもりだったんだろ!)
(心配するな。ほら、早く皆のいる所へ)
(オイラ、知ってるんだ! 父さんは、もうここに戻ってこない覚悟で)
(お前……)
 少し身体をかがめて、父は息子の顔を正面から捕らえた。ひとかどの迷いも感じさせない父の眼差しに、彼の瞳は射貫かれる。
(……我が一族の使命なのだ、ナナキ。他の何に替えてもコスモキャニオンを守り通すことが)
(どうして……父さん)
 知りたい。今こそ。
 目の前の敵に恐怖する心に打ち勝つ術を。誰にも知られず消えてゆく強さの秘訣を。決して短くはない旅の中でついに身に付かなかった、立派な戦士の条件を、今夜こそ。
(……私は、身勝手な男なのかもしれないな)
 セトは自嘲気味に微笑んだ。
(私も多少なりとも責任のある立場だ。私がいなくなることで困る者、悲しむ者、いくらかは居るだろう……それが分かっていながら、今こうして戦いに赴くのは、もしかしたら自己満足に過ぎないのかもしれん。私は、自分がこの谷のために何事かを成したのだという、証が欲しいのだろうな。地位 ある者が墓標を飾り立てるように。……そのために、自分を愛してくれる者を置いて行くのは、勝手以外の何物でもないのだ、多分)
 確かに、何故オイラに一言もなかったのかと思ったこともある。しかし、それを責め立てる気にはどうしてもなれなかった。
(勝手でも何でも……腑抜けより、ずっとマシだよ)
 腑抜け。身を貫く言葉だ。父に向かって使い続けた年月の長さだけ、致傷力を蓄えてきたのだ。この言葉を、今は敢えて自分に突き刺す。
(……オイラ、分からない。仲間と一緒に戦うのすら恐いんだ。オイラは弱いよ。大事なものが増えれば増えるほど、身動き取れなくなる。足がすくんじゃうんだ。何も失いたくない。死にたくない! ……いつまでたっても父さんみたいに強くなれないよ)
 自らを責め苛む息子の言葉を、父は穏やかに否定した。
(ナナキ。少しの恐怖も覚えずに、戦える者などいやしない)
(…………)
(嘘ではないよ。私もそうだ)
 あからさまな疑いの眼差しを向ける息子に、セトは苦笑する。
(これだけは忘れるな。腑抜けでなければ、戦うことはできないのだよ。大切なものを失う恐さ、自分が死ぬ かもしれない恐さ……それこそが、戦士の原動力だと私は思っている。何も恐れないということは、大切なものが何もないということと同じ。大切なものを失う悲しみが分からない者は、戦えない)
 勇気と恐怖は、紙一重――。
(弱さは罪ではないよ。恐怖することを否定するな。お前が今から戦うべき敵に震えているなら大丈夫だ。お前は絶対、戦える)
 そうなのだろうか。本当に、戦えるのだろうか――戦士セトのように。
(何て顔をしている……ほら、前を向くんだ。臆病で勇敢なナナキ。お前ならできる。何せお前は、血筋からして恵まれているのだからな)
 最後の一言分だけ、セトは悪戯っぽく笑った。つられて彼も笑う。泣きそうな笑顔だった。
(……ずるいよ父さん、そんな言われ方したら、そうだねって言わないわけには行かないじゃんか)
(そうか? それは悪かったな)

 そして暗転――。

 不意に、鼻先に細い指の感触を覚え、彼はぴくんと首をすくませる。もちろんそれは、錯覚であったけれど。どこか分からない、空がどこまでも見渡せる広野には、空と大地の他には自分しか存在しなかった。
(……今、何考えてる……?)
 いずこからともなく響く声に、彼は一瞬、ためらった。
 死ぬの恐いから戦おうかやめようかまだ迷ってる。――そんなこと、言えっこない。
(……メテオのこと)
(メテオ、防ぎきれなかったな、私。ごめん)
 彼はたてがみを左右に揺らした。防ぎきれなかったのは彼女のせいじゃない。だから謝らないで。
(――エアリスは、勇敢だな)
(勇敢? 私が?)
 笑い、さざめく波動が伝わる。彼女が笑うと大気も笑う、そんな気がした。ライフストリームの一部になった彼女。彼女は今、この大気の中に溶け込んでいるのだろうか。もしそうならば、自分は彼女と共にいると言えるのだろうか。
(恐かった……のかもしれないな、私。でもね、悲しくはなかったよ)
 夢にしたって都合がいい、と彼は苦笑する。エアリスが自分のためだけに言葉を紡いでくれるとは。
 でも――今夜だけなら、いいよね?
(私、ずっと探してた。自分にできることって何なのか。やっと、見つけたの。嬉しかったな……。ごめんね、レッド、私、勝手で)
(……そんなことないよ)
 そう、返した声は、少しかすれてしまったけれど。
(もしもう一度、同じ選択肢が与えられても、きっと同じ道を歩くと思う。何もしなかったことを後で悔やむより、かっこ悪く震えながらでも出来る限りのことをする――したいと思うんだ)
 後悔よりも戦いを。大切なもののために、ひいては、自分のために。
 この世界を変えるのは、きっといつでも、数えきれぬほどたくさんの清らかなエゴなのだ。
(エアリス、オイラ……)
 きみのことが好きだった、という言葉を、彼は飲み込んだ。もっと、明日につながる言葉を紡ぎたい。
(この星が好きだよ。エアリスが守りたがったこの星を、オイラも守りたいと思う)
 もう一度、大気が笑みほころんだ。
 涙がこみ上げてきたが、彼はこらえなかった。泣きたいだけ泣こうと思った。
 風が、まるでその涙をぬぐうように彼の頬をなでていった。

 そして暗転――。

 彼は再び、父の傍らにいた。
 洞窟の最奥部で、灰色の石像となって生き続ける父から、彼はもう逃げ出さなかった。自分の気持ちを偽ることが強さではないと気付いたので。
 じっちゃんが待っててくれる。ポポルが待っててくれる。コスモキャニオンの岩肌が待っててくれる。エアリスが、風の中から見守ってくれる。恐いけれど、悲しくない。
(自分の弱さを打ち消すのではない、弱さとともに生きてゆくことこそが、大事なんだ)
 ――父さん。
 オイラも、立派な戦士になれるかな。

***


 薄い瞼を透過する、生まれたての朝陽に、彼は目を覚ました。
 行かなければ。義務感などではなく、自然に、心からそう思った。頭をひとつ振ると、視界の曇りが晴れた。するとどうやら一晩中付き合ってくれていたらしいブーゲンハーゲンと目が合い、彼は照れ笑いを浮かべる。
「じゃあ……オイラ、行くよ。じっちゃん」
 ブーゲンハーゲンは何ひとつ詮索しなかった。
「気をつけるんじゃぞ」
「うん。……ありがとう」
 彼は足取りも軽く駆け出し、衛士の火の前で脚を止めるとそこで振り返り、故郷の村全体を見渡した。
 大袈裟にするつもりはさらさらなかった。コスモキャニオンに住む人々ひとりひとりになど挨拶して回ったら、まるで今生の別 れのようになってしまいそうで嫌だった。旅立ちはごくあっさりと。じっちゃんにだけ伝えて出て行き、すぐに帰って来よう。そう思っていたのに。
 ――いつの間にか、彼の目の前には、村人のほとんど全てが集まっている。
「……な、何だよ、みんな揃ってさ……」
 ちらりと、ブーゲンハーゲンを見やる。ブーゲンハーゲンは彼と目が合うより一瞬早くあさっての方向を向き、ひょいとひとつ肩をすくめてみせる。
「……じっちゃんが、言ったの、みんなに?」
「はて、何のことかいの」
 しらばくれているのか本当におかど違いなのか、どこまでも分からないブーゲンハーゲンの口調である。
「そんなことより、ほれ、何か言いたいことがあるのじゃろ?」
 そうだ。コスモキャニオンの岩肌にどうしても刻みつけておきたい思いがあった。口に出すことで、それが言霊となって自分を護ってくれそうな気がした。
 聞いてて、父さん――。
「オイラ、行ってくるね。一人前の戦士になりに行ってくる!」
 面映ゆくも、嬉しかった。

 踵を返し、彼は砂漠に続く階段を一気に駆け降りた。朝焼けに照り映えて赤い砂煙が、彼のたてがみを無造作になぶって過ぎた。


(終)




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