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空を夢みる翼




 きっと、生涯、忘れることはないだろう。
 あの瞬間、スタンドじゅうに満ちあふれた溜め息の大きさを。うなだれた先輩たちの姿をこれでもかというぐらいに暴き出す、無神経な夏の日射しを。それよりももっと無神経な、なんにも知らないやつらの好き勝手な陰口を。
 学校に戻って、試合の結果を、キャプテンはあくまで淡々と報告したそうだ。
 でも、部員全員の前で頭を下げたキャプテンの顔色は、あの日の晴れた空よりもまだ青ざめていた。

 ──あの年、オレたち桐青高校は、一回戦で敗退した。


***


 タケの打球が大きく上がって、センターのグラブに入った。迅が走り出す。フォローに来てた外野手、確かあれはライトのやつだ。そいつがホームに返球してくる。滑り込む迅。キャッチのミットに入る球。アンパイアの手が上がる。
「アウト────!!」
 ……瞬間、すべての音が、消え失せた。

 耳障りなどしゃ降りの雨音が、徐々に戻ってくる。オレはうつむいて、少しだけ息を吐いて、ネクストから立ち上がった。
 見渡すと、灰色に塗りつぶされた景色のなかで、スコアボードだけが残酷なぐらいに鮮やかだ。
 “5−4”。
 感慨なんて、ないのだと。ただ、あぁ、と、それだけだったのだと。そう、二年前にこぼしていた人の声音を思い出す。
 ──呂佳さん、あなたもあのとき、こんな気分だったんですか。
 唯一救いなのは、今日の空があの時みたいな真っ青な快晴の空じゃなかったことで……けれど、言葉ひとつ選ぶのにも途方に暮れるような、今の気分を表わすのに、この空模様ほどにふさわしいものはないだろうと思う。
 ベンチには、ついえた望みがそこらじゅうに転がっている。封印してきた涙と嗚咽。それは、あの頂に登り詰めたときのためのものだったはずだ。
『死ぬ気でやれ、それでダメなら死ぬほど悔しがれ! それができないヤツは単なる負け犬だ』──と、よくゲキを飛ばしてた人がいた。あの人も、すぐに結果を知るだろう。この言葉に対して後ろめたいようなことは何ひとつない。けれど呂佳さん、この悔しさを向ける先がわからないんです。
 オレの野球人生ここで終わったわけじゃないけど、ここで野球やるのはこれが最後なんです。
 まとめ終えた荷物にまぎれて、大きな包みが手つかずのまま置いてある。片付けないのかと言いかけて、思いとどまった。
(……千羽鶴、か)
 これを作ったのはオレたちじゃない。うちのマネジたちが、ただでさえ重労働な毎日の仕事の合間に、ひとつひとつ折ったものだ。きっちり千羽。気が遠くなるような作業。たぶん、徹夜だろう。毎年恒例だから見慣れてはいたけど、いざもらってみると──ずっしりと、重かった。
 オレたちだけのものじゃないんだ。勝利も、敗北も。そう、思った。
 ……オレたちは、この鶴を、ちゃんと空に羽ばたかせてやることができなかった。
 負けるっていうのは、そういうことなんだ。

 誰もが手を触れられずにいる千羽鶴を、オレはじっと見た。
 飛び立つ用意はいつでもできてる、というように、翼を広げた鶴の群れ。この翼は高く舞い上がるためのものだ。翼がある以上、こいつらはどこまでも高みを目指さなきゃいけない。なぜって、この鶴は、夏大に挑むやつ全員の、強い意志だから。
 そうだろう?
「──これさ、西浦《あっち》に預けてきてもいいかな」
 真っ赤な目のまま、彼女たちはオレをじっと見つめて、ひとつうなずいた。
「……お願いします」


***


 ほんとうは、オレたちがこいつらを飛び立たせてやりたかった。この厚い雲の上の、真っ青な高い空へ、連れて行ってやりたかった。
 ──それは、ここで戦うやつすべての、心からの願い。
 たどり着きたいあの高みに、用意されている席はたったひとつだけど。そこへたどり着くまでの道の途中で、数えきれない数の夢がついえてゆくけど。
 この翼の見る夢は、いつか、ひとつになってすべての頂にたどり着くから。
 それを、今からそっちへ託しにいくから。
「慎吾、山ちゃん、行くぞ」
 受け取ってほしい。そして、ほんの少しでもいい、高いところへ連れて行ってやってほしい。
 そのためにだったら、君らのことを心から応援できる気がするから。

 ──今、オレは、敗戦校の主将としての最高の意地を張りにいく。


(...Written at 2006.03.12) 



 ……あー、三橋じゃないもの書くのって、要点がきっちりまとまるから書きやすいわ……(いきなりそれかよ)

 ──スミマセン、失礼しました(笑)ええと、もうこれは読んでいただければお分かりのとおり、第29話(06年3月号)の両チームキャプテン初対面シーンの直前でございます。
 29話の直後にアップするつもりでいたんですが、間に合わず…(T_T) どうせ今アップするなら、ということで、ネタ思いついた当初は予定になかった、呂佳さんのセリフなんていうものを捏造してます。いや、30話における彼の「負け犬」発言には、こんなかんじの呂佳哲学がありそうな気がして…(ちなみに私もそのとおりだと思います、確かに)

 桐青がホントにこんな気持ちで西浦に千羽鶴を持っていったのかどうか、私ちょっと運動部の経験ほとんど皆無なので定かじゃありませんが、もしそうなら、西浦はやっぱり重みを感じてあげてほしいですねー。プレッシャーに感じる必要はまったくないんだけど。
 そして三橋……きみも少しでも早めに、あの千羽鶴にこめられた思いのたけを、全身で受け止められるようになってくれたらなぁと思います。がんばれ!
(ホント何書いても最後には三橋だなぁ私……)



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