番外編競作『禁じられた言葉』用のテンプレートを使用しています。

虹待ちの空 番外編

石の鳥籠

written by 櫻井水都
 〈塔の守人〉という役職は、一般の市民からはまったくと言ってよいほど正確な認識を受けていない。
 それも無理からぬことだろう。この役職は、一口に言ってしまえば、牢の看守だ。牢と言っても種類はさまざまだが、この職名で呼ばれる人間が監視するのは、魔法使いである犯罪者を拘置するための牢──すなわち、〈牢獄の塔〉である。〈牢獄の塔〉の番人であるから、〈塔の守人〉。さほど理解に難くなかろう。
 〈塔の守人〉は、世襲である。ジェイルという一族から、代々一人ずつ選定される。守人の任は、原則として終身。守人とならなかったジェイルの人間は、次代の守人候補を生み育てるか、一族と袂を分かつかのどちらかである。ジェイルは、なるほど、〈牢獄の塔〉とともに存在してきたのだ。
 現在、〈塔の守人〉を名乗るのは、ミハル・レサ=ジェイルという女性である。
 そして、彼女にとって守人の任とは、まさに青天の霹靂であったのだ。

***

 ミハルには父があり、母があり、妹があり、守人である伯父があった。
 彼女の父母自体は、守人としての資質を持たなかったが、ジェイルの一族としての務めを可もなく不可もなしに果たした。彼らが授かった二人の子供のうち一人が、守人としての資質を持って生まれたからである。
 魔法に関する一般的な知識に照らし合わせると、若干奇異に映ることなのだが、ジェイルという一族の中では、いわゆる“魔力”を持つ子供はさほど祝福されない。もっとありていに言ってしまえば、不要な存在と見なされる。
 結論から言うと、姉ミハルが魔力を持たずに生まれ、妹ニナは魔力を持って生まれた。ミハルは一族のもとで育ち、ニナは遠縁のバローという家に里子に出されたのである。

 この辺りの話に入る前に、理解しておかねばならない事柄がある。すなわち、“守人としての資質”という言葉が指し示す内容についてである。
 先に述べたことを例にとる。ニナには魔力があった。それは取りも直さず、守人としての資質を持ち合わせていないということが確定しているということである。そのため、ジェイル家から出された。それでは、“守人としての資質”とはつまるところ何であるのか。
 魔力には〈正の力〉と〈負の力〉が存在するというのが、学会での定説である。
 正の魔力、これは理解に易いだろう。発火させる、空を飛ぶ、外傷を治す、物体を移動させる、地を泳ぐなど……いわば、世界に直接働きかける力だ。対して、負の魔力というのは、それら正の魔力を無力化する方向へ働く力を指す。
 共著で発表した論考『魔力の表出のメカニズムと魔法力学』に詳しいので、ここではあらまし程度にとどめるが、一人の人間が正の魔力と負の魔力を同時に持ち合わせることは、一般的に言ってあり得ない。正の魔力が発現すれば負の魔力は発現せず、またその逆も然り。魔力が実際に“力”として発現するには、〈魔力因子〉が不可欠とされているが、正負それぞれの〈魔力因子〉の勢力差が、その人間の持つ魔力の種類と度合いを決定するのである。
 正の魔力因子が勝った人間の体内では、負の魔力因子は消滅してしまうのか、あるいは眠っているだけなのか、現在の研究では解き明かされていない。
 ただ、現象として、負けてしまった方の因子は、まったく働きを見せないということが明らかになっている。さらに、負けてしまった因子は、どうやら遺伝もしないようである。これについては断言できるまでに至ってはいないのだが。
 ひとまず、正の魔力の持ち主の肉体内では、負の魔力因子はなんらの作用もしない。このことは確実である。
 すると、ここからさらにひとつのことが明らかになってくる。つまり──正の魔力の使い手は、その時点で、守人としての資質を持ち得ないことが確定しているということになるのである。
 それに対して、正の魔力が発現していない人間についてはどうか。
 正の魔力を打ち消すという形でしか、負の魔力は発現しない以上、負の魔力というものは普段は目に見えないことが多い。目に見えなければ、それは傍目には、魔力がない(あるいは、ごく弱い)のと変わりがない。したがって、正の魔力を持っていない人間は、守人としての資質を持っている「可能性がある」。
 要するに、〈塔の守人〉とは、負の魔力を受け継ぐ一族のみが就任できる、きわめて特殊な役職と言える。
 そして、現在確認されている限り、そういった一族はジェイル家のみなのである。

 さて、ミハル、ニナの姉妹に話を戻そう。
 ニナは、幼少時に正の魔力の持ち主であることが判明してほどなくして、ジェイルの一族から分離された。一方、姉のミハルは正の魔力を持っているかどうか確認できなかったため、一族に残ることとなった。やがてミハルに負の魔力が確認されると、彼女の名は正式に〈塔の守人〉候補に連ねられた。七歳の時である。
 もっとも、守人の候補に名を連ねたからと言って、守人となることが決定したわけではない。
 守人の任に就くのは代々一人ずつ、その任期は一生涯。よって、たいていの場合、一代ごとの就任期間は長くなる。この時点で守人を務めていたのはシーマン・セグ=ジェイル、ミハルの伯父に当たる。彼の直系こそがジェイルの一族の本家であり、できる限り守人はこの本家の中から選ぶべきとされている。なお、彼は任に就いたばかりでこの時二十九歳、結婚は早かったが、生まれた子供の中で守人の候補となっている者はいなかった。
 離ればなれとなったミハル、ニナ姉妹だが、彼女らの交流はそれによって途絶えることはなかった。二人は互いに居場所を知っており、連絡をつける術も、無いわけではなかったのである。
 ミハルはジェイル家に、ニナはジェイルの遠縁であるバロー家に。ジェイル一族の中で知らぬ者はない事実だった。
 ただ、ミハルが行き来を密にすることを避けており、彼女のほうから妹に接触を図ることはまったくなかった。一方ニナは、隙あらば姉に手紙を送ったり、突然会いに来たりした。主に妹の功績によって、彼女らはかろうじて姉妹らしい交流を保ち得たのだった。

***

 少女は時を経て、しだいに“女性”となってゆく。それは無論、ミハルら姉妹も例外ではなかった。
 その頃ミハルは一人の男性と知り合い、親密な関係を結んでいた。遠かれ近かれ結婚するかもしれないなどと、互いに淡い想像をめぐらせてもいた。一方ニナは、姉より一足先に結婚し、ベント夫人と呼ばれる立場になっていた。
 ミハルの交際相手は、レムス・ヴァシルスという宮廷文官であった。彼女より五歳ほど年長で、背が高く痩せぎすで、学問と芸術に秀で、穏やかに微笑みながら時折公国の将来について語ったりした。彼の語る国家論はやや理想主義的な面が見えたが、その青さがミハルには好ましく映ったのも事実だった。
 どれほどに今を憂えても、彼の見据える未来は必ず光が差している。ミハルはその眼差しでもって、自分の心の中の暗雲を振り払おうとしたのかもしれない。
 ジェイル家に生まれ、〈塔の守人〉の候補者として登記された者すべての心に、重苦しく影を落とす──未来に対する言いようのない諦めを。

 レムスとの交際を始めた当初、ミハルはいくつかの重大なことを相手に知らせていなかった。
 まず、自分が守人候補者の一人であるという事実を。このことは、彼女自身も忘れようと努めていた。これを念頭に置いている限り、一切の未来は自分の前に立ち現れてくれないように思えたのだった。
 そしてもうひとつ──自分の家系の祖先と、〈塔の守人〉という役職の本当の意味についてを。

「そろそろ、終わりにしようか、あたしたち」
 口火を切ったのはミハルであった。普段は微笑みで細められている目を、疑惑にひそめて、レムスは問い返した。
「……ごめん、ミハル? 悪いけど意味が分からないよ」
「そんな難しいこと言ったつもりはないんだけどな、あたし」
 ミハルの口調はあくまで軽いが、あるいは声がややうわずっていたかもしれない。
「ちなみに、終わりにするっていうのは、あたしたちの関係を無かったことにするってことね。二年ぐらい付き合ってきたけど、もう潮時でしょ。長持ちしたよね」
「僕が訊きたいのは、そういうことじゃないんだけどな……。分かってて、はぐらかしてるんだろう?」
「他に何を言えって!?」
 ミハルの声が跳ね上がった。
「今言ったことがすべてだよ。ああそうか、理由が知りたいんだ? そんなのひとつに決まってるじゃん。意味が感じられなくなったの。分かる? あんたと歩いていく未来が、何ひとつ想像できない。レムス、あたしの未来に、あんたはいない!」
 しかし、実際のところ、最後までを言い切ることはできなかったのだ。レムスの唇がミハルのそれを強引に塞いだので。


(中略/鋭意構想中…)


***

 そろそろ筆を置かねばならない時分だ。
 ここに私が書いてきた内容は、おそらく胸の奥にしまったまま墓場まで持っていくべきなのだろう。そうであるなら、この覚え書きを一体私は誰に向けて書いているのだろうか。
 それは、もしかしたら、自分自身になのかもしれない。過去、現在、未来の時間軸上に存在する、あらゆる自分に。
 私は今後、本当に墓場に持ってゆく時になるまで、何度となくこの覚え書きを読み返すことになるだろう。そして思い知るだろう。これらの出来事が、過去に実際に起こったのだということ、それに対して私が何ひとつも成し得なかったということ、そして、今後同じ類の出来事を起こさないために自分に何ができるかを絶えず問い続けねばならないということを。
 したがって、この手記は、戒めなのだ。

 〈青の魔法学院〉が消滅する日の未明、院長室にて
 マガーク=エクシス・ベント 記す